目次
第2部 近現代
第9章 文芸家 4. 昭和期に活躍した文芸家
室生犀星(むろう さいせい) 1889-1962
149 萬華鏡 〔大正10(1921)年〕 【本別3-77】
自筆原稿。『中央公論』大正10(1921)年3月号に掲載された。「萬華鏡」は総題で、「川蝦」「俳諧寺一茶」「春分」の映発しあう3つの短篇からなる。このうち「俳諧寺一茶」は、1986年に『室生犀星未刊行作品集 第1巻 (大正 1)』(三弥井書店)が刊行されるまで、単行書・全集に未収録となっていた作品である。
久保田万太郎(くぼた まんたろう) 1889-1963
小説家、俳人、劇作家。慶應義塾大学在学中、『三田文学』に小説「朝顔」を発表してデビュー。江戸情緒を残す下町の人情を活写した作品で知られる。劇作家、演出家としても活躍し、岸田国士らとともに文学座の旗揚げに関わった。本人が余技と位置付けていた俳句も、余情豊かな作風で人気が高い。昭和元(1926)年10月に日本放送協会東京中央放送局の嘱託として働き始め、昭和6年からは常勤の文芸課長となった。
150 花冷え 昭和13(1938)年 【本別3-98】
自筆原稿。『中央公論』昭和13(1938)年6月号に掲載された。桜の咲く頃急死した薄幸な青年を、仲間たちが追想する内容で、青年のモデルは東京中央放送局の同僚だったという。久保田は『花冷え』発表直後に同局を退職した。久保田にとっては創作に専念する契機になった作品で、のちに刊行された単行本(岩波新書)の後記では「ことさらな愛着を感じさせる」と語っている。原稿では、時に「雨垂れ文学」と揶揄されることもあった「…」の多用など、久保田独特の文体を見てとることができる。
中里介山(なかざと かいざん) 1885-1944
小説家。本名は弥之助。職を転々としたのち明治39(1906)年に都新聞(のちの東京新聞)に入社した。キリスト教や平民社の社会主義思想に関心を寄せたが、のちに仏教に傾斜した。大正2(1913)年から昭和16(1941)年にかけ、幕末を舞台にした大長編小説『大菩薩峠』を発表。同作は未完ながらも日本の大衆文学の代表作のひとつとされる。
151 中里介山書簡 昭和8(1933)年9月12日 【山本孝治関係文書131】
海軍大臣大角岑生に宛てた書簡。山本孝治関係文書は、五・一五事件の軍法会議における論告草稿1冊と、論告・判決などに関する意見を述べた書簡等から成る。掲載資料は、被告人たちに対する情状酌量を求めているもの。事件の中心となった海軍青年将校たちは、軍法会議にかけられ、前日に3名の死刑を含む求刑が発表されたばかりであった。首相殺害を含む重大事件ではあったが、公判とその報道を通じて、当時全国では減刑を嘆願する動きが広がっていた。介山もまた、被告人たちについて、主君の仇を打つためだけに決起した赤穂義士ではなく、むしろ国を救うために蘇我氏を倒した藤原鎌足に例えるべきだと自身の意見を記している。
佐藤春夫(さとう はるお) 1892-1964
小説家、詩人。初め浪漫的な抒情詩人として文壇に登場したが、小説『田園の憂鬱』、『都会の憂鬱』などで大正期を代表する作家となる。大正6(1917)年頃谷崎潤一郎と知り合い、処女創作集『病める薔薇』(大正7(1918)年。のちに補訂されて『田園の憂鬱』となる)には谷崎が序文を寄せている。2人の交友はお互いの生活と創作に大きな影響を与えたとされる。谷崎が妻千代を佐藤に譲った「細君譲渡事件」は特に有名。
152 思ひ出のなかから 〔大正8(1919)年〕【本別3-97】
自筆原稿。「私の父と父の鶴との話」という小題がついている。この物語は最初、小説「わが生ひ立ち」の一部として、大正8(1919)年7月の『大阪朝日新聞』夕刊に掲載されたが、改題と加筆修正を経て、翌年発行の雑誌『サンエス』に再度発表された。掲載資料は『サンエス』に掲載した際の原稿と思われる。幼い頃、医者であった父が連れてきた1羽の鶴と父との交流、その鶴が死んだ時の家族の様子などを、静かで落ち着いた筆致で描いている。のち、佐藤にとって初の童話集『蝗の大旅行』(大正15(1926)年)に収録された。
土井晩翠(どい ばんすい) 1871-1952
詩人、英文学者。姓は本来「つちい」だが、昭和9(1934)年、通称に従い「どい」と改めた。東京帝国大学卒業後、第1詩集『天地有情』を刊行し、島崎藤村と並び称される詩人となる。「荒城の月」の作詞者としても著名。のちに詩壇の主流を離れるが、晩年の『イーリアス』、『オヂュッセーア』などの訳業が高く評価されている。
153 イーリアス 昭和11(1936)~13(1938)年【本別3-63】
ホメロスの『イーリアス』をギリシャ語原典から訳した際の草稿。晩翠は独学でギリシャ語を習得し、大正3(1914)年、日本初の韻文による『イーリアス』部分訳を発表した。しかし、全24歌のうちの1、2歌を訳したのみで中断。約20年後、途絶していた訳の完成を再び決意し、昭和14(1939)年に全文訳を成し遂げた。完成まで足かけ25年を費やした訳は、今もなお日本におけるホメロス訳の金字塔とされる。
当館は、大正2(1913)年頃の草稿ノート3冊、昭和11(1936)年頃から始まる草稿類11冊などを所蔵する。
イーリアス(第1冊)
大佛次郎(おさらぎ じろう) 1897-1973
小説家。本名は野尻清彦。昭和期大衆文学の代表作家であり、特に『鞍馬天狗』、『パリ燃ゆ』、『天皇の世紀』などが著名。鎌倉の大仏裏に住んでいたことから大佛の筆名を用いたという。時代小説のほか現代小説にも優れた作品を遺す。豊かな西欧的教養をもとに、大衆文学の質的向上に貢献した。
154 風船 〔昭和30(1955)年〕【YS1-16】
自筆原稿。『毎日新聞』朝刊に、昭和30(1955)年1月20日から9月10日まで連載された。アメリカ占領期の日本を舞台に、「漂流して行く先さだめないゴム風船」のような人々の生を描いた小説。大佛が特に力を注いだ作品で、「私の代表作と見られている『帰郷』よりも『風船』が遙か上の作品だとひそかに信じている」と書いている(「私の現代文学」『日本名作自選文学館 [6]』)。「おさらぎ」銘入り原稿用紙を使用。作者自身が修正した跡も多く残っている。なお、朱は新聞社で入れたもの。
風船
豆知識
原稿用紙に書かれた記号たち
原稿整理という作業があります。広義には、表記の統一、見出しをつけるといった編集作業ですが、狭義では自筆原稿中の文字をわかりやすく指定する作業のことです。
今回掲載した自筆原稿の中には、赤でたくさんの記号が入っているものがあります。これは、印刷所で文字と記号の区別等がつきやすいように編集者が入れた「整理記号」です。達筆な作家の文字も、この記号でわかりやすくなります。整理記号は会社によって違うものもあるようですが、大体、句読点や括弧には「<」や「>」を使うなどと決まっていました。

