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あの人の直筆

目次
あの人の直筆第2部 近現代第2部 第9章 第1節 幕末・維新期に活躍した文芸家

第2部 近現代

第9章 文芸家 1. 幕末・維新期に活躍した文芸家

河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ) 1816-1893

歌舞伎狂言作者。本姓は吉村。5代目鶴屋南北のもと、勝諺蔵かつげんぞうの名で見習い作者を勤め、天保14(1843)年に河原崎座の立作者になると2代目河竹新七を名乗った。黙阿弥は明治14(1881)年引退表明後の名であるが、その後も新作を提供。生涯で約360もの脚本を書き、坪内逍遥に「江戸演劇の大問屋」と評された。

130 五人男并団十郎せりふ尽 【京乙-319

古書肆こしょし(古本屋)染谷翁が収集した歌舞伎のせりふ尽11種を綴じ合わせて1冊としたもの。巻頭に付された明治22(1889)年6月の黙阿弥自筆の序文は、彼一流のリズミカルで音楽的な七五調で綴られている。「己文化の旧弊に木板摺りの古本を好めば如何なる良書も西洋紙とインキの匂ひに好もしからず…」などの文章に、明治を迎えた黙阿弥の心境がにじんでいるようである。また、ほとんどすべての漢字に振り仮名が振られ、彼の几帳面な性格をうかがわせる。収録されたせりふ尽の表紙には演目、役者、紋所、座元などが大きく記され、演劇資料としても価値が高い。


仮名垣魯文(かながき ろぶん) 1829-1894

戯作者、新聞記者。本名は野崎文蔵。幕末から明治にかけての近代小説黎明期に『西洋道中膝栗毛』、『安愚楽鍋あぐらなべ』などの滑稽小説を著した。その後、神奈川県庁勤務を経て、『仮名読新聞』『いろは新聞』などの小新聞を創刊し、口語体の普及に貢献した。

131 花裘狐草紙 初編上巻 〔文久元(1861)年〕 【本別12-14

花裘狐草紙はなごろもきつねのそうし。歌舞伎十八番(掲載資料45参照)のひとつ「不破」の登場人物をキツネとタヌキに置き換えた草双紙(文久2~3(1862~1863)年刊【W114-13】)の手稿。絵の指示も魯文自らが描いており、貼り込みをめくることで2種類の構図を比較できる箇所がある。

花裘狐草紙 初編上巻(貼り込み右上)

右上の貼り込みをめくった拡大図


三遊亭円朝(さんゆうてい えんちょう) 1839-1900

落語家。本名は出淵いずぶち次郎吉。7歳のとき小円太と名乗り初高座、のちに円朝と改め、人情噺や怪談噺で人気を博した。近代落語の祖ともいわれる。落語の創作にも力を入れ、代表作『真景累ヶ淵しんけいかさねがふち』、『怪談牡丹灯籠』をはじめとする新作落語は、現代でも演じられている。速記術普及のために刊行された『怪談牡丹灯籠』は、言文一致体の確立に大きな影響を与えた。

132 三遊亭円朝書簡 〔明治29(1896)年頃〕2月28日【柳原前光関係文書2-8

円朝から博文館の担当者へ送った書簡。書面では、『椿説蝦夷なまり』の出版届を博文館へ送ったことや、回送してもらった『名人長次』(『名人長二』)の口絵が上出来であることが述べられている。円朝は明治29(1896)年3月に博文館から両書を出版しており、その頃の書簡と考えられる。なお、絵画の腕前も知られた円朝が上出来と評した『名人長次』の口絵は、当時の人気画家、水野年方が描いたものであった。

三遊亭円朝書簡

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