第2回内国勧業博覧会

不況下でも大盛況

開催期間
:1881(明治14)年3月1日~6月30日
場所
:東京上野公園
入場者数
:823,094人

第2回の内国勧業博覧会は、西南戦争の戦費捻出を契機とするインフレーション、幕末開港以来の貿易不均衡による正貨流出等による不況下で開かれた博覧会であったが、出品数は第1回の4倍にも増え、入場者数等ほとんどの分野で第1回の内国勧業博覧会の規模を凌ぐ結果となった。また、第1回の所管は内務省であったが、第2回ではさらに大蔵省も加わり、政府としても勧業博覧会に一層注力していることが伺える。

会場約14万3,000平方メートルに、本館ほか6館の陳列館が建設された。上野の山の花見客を期待して3月に開会したことが功を奏したのか、会期中の入場者は82万人で、一日平均6,740人と、第1回の倍近くの人を集め大盛況だった。また、明治天皇も皇后と行幸し、熱心に観覧した。

第1回に続き第2回の内国勧業博覧会においても指導者的役割を果たしたお雇い外国人ワグネル(G. Wagener)は、日本政府への報告書の中で日本産業の現状分析と将来への提言を行い、例えば日本農業を外国の資本や技術等を導入して発展させるべきだと述べているが、これは農商務省でお雇い外国人を廃止するなどしていた日本政府への抵抗であり、外国人技術者依存からの自立を目指していた当時の日本の政策との対照が浮き彫りとなっている。

なお、第1回では出品物を府県別に陳列したが、第2回では出品者相互の競争心を煽ることを目的として種別に陳列した。また、第1回以後の改良発展を期待し、前回と同様のものの出品を禁じた。

参考文献:

國雄行 『博覧会の時代 : 明治政府の博覧会政策』 岩田書院 2005 <D7-H68>
吉田光邦編 『図説万国博覧会史 : 1851-1942』 思文閣出版 1985 <D7-66>