1900年第5回パリ万博

19世紀最大の万博

名称
:Exposition Universelle
開催期間
:1900年4月15日~11月12日
場所
:パリ(シャン・ド・マルス、トロカデロ、アンヴァリッド、シャンゼリゼ、セーヌ川両岸)
入場者数
:5,086万1,000人

1900年の万博は、19世紀を締めくくり、20世紀への展望を示す、パリ万博史上最大の規模の博覧会となった。1889年の万博会場に加え、セーヌ川右岸、ヴァンセンヌの森も会場とされた。シャンゼリゼに新たにグラン・パレとプチ・パレが建設され、セーヌ川対岸のアンヴァリッドとの間は壮麗なアレクサンドル三世橋でつながれた。

ドイツやアメリカが重工業部門によって目覚ましい発展をとげていた1890年代、フランス共和国政府の関心はテクノロジーから高級な手工芸・装飾芸術へと方向転換した。国際競争においてフランスの優位を実現できるような万博を開催し、フランス本来の特質とされる洗練された優美さを武器にファッションや織物、装飾品、家具の分野を推進しようという考えだったのである。そして、これが後のアール・ヌーヴォーの興隆に繋がっていった。

出展品の分類については、国別の陳列ではなく、芸術、農業、機械など18分野に分け、その中を更に121部門に細分化することで、様々な会場内で展示が行われた。また、参加国は40カ国を越え、アンヴァリッド橋からアルマ橋に至るセーヌ左岸には各国のパヴィリオン群があり、世界の縮図の観を呈していた。トロカデロには植民地のパヴィリオン群があり、そこには植民地だけでなくロシアや中国、日本なども参加していた。

パリ万博は回を重ねるごとに、出展品を展示するだけでは人々の注目を引くことはできなくなっていたので、新しいアトラクションを必要としていた。そこで今回登場したのが、「電気」を使ったアトラクションであった。「動く歩道」やそれと平行して走る電車が人気を呼んだ。また「電気館」はこの万博の中心的な建造物となった。電気は動力ではあったが、人々を喜ばせたのは光としての魅力であった。「電気館」正面には「電気の精」の彫像が取り付けられ、照明は様々な色に変化し、その前の噴水に美しく映えたのであった。

このパリ万博はフランスの芸術での優位性が強調され、万博を機にアール・ヌーヴォーが流行したという点や、人々に様々な娯楽も同時に提供したという点でこれまで開催されたパリ万博の中では最も華やかかつ大規模なものであった。

参考文献:

平野繁臣 『国際博覧会歴史事典』 内山工房 1999 <D7-G26>
吉田典子 「1900年パリ万国博覧会--政治・文化・表象」 (『国際文化学』 3号 2000.9 <Z71-D112>)
Finding, J. E., Pelle, K. D. ed.: Historical dictionary of world's fairs and expositions, 1851-1988 (Greenwood Press, 1990) <D7-B3>