1851年第1回ロンドン万博

世界初の万博、大成功

【コラム】階級別の入場料

第1回ロンドン万博は約604万人という入場者数を記録した。このように多くの大衆を動員できた背景には、鉄道およびメディアの急速な発達があるが、もう一つ挙げられるのが段階的な入場料のシステムである。

入場料は開会最初の2日間は1ポンド、5月5日からは5シリングであったが、3週目以降は月曜日から木曜日までは1シリング、金曜日は2シリング半、土曜日は5シリング(8月6日以降は土曜日も2シリング半)とされた。入場料の違いは、来場する客層の違いとなって現れた。5シリングの土曜日には、家族連れの中産階級が数多く訪れ、1シリングの週日には、地方の農民や労働者階級の人々が大勢訪れた。これには、クック(T. Cook)が今でいう団体旅行を企画し、観光列車を手配して大勢の農民や労働者を地方からロンドンへと運んだことも一役かっていた。最も入場者が多かったのは、会期中80日間に及んだ1シリングの入場日であり、一日の平均入場者数は約5万5,000人と、全入場者数の約3/4に相当した。彼らが特に注目したのは、当時最先端の技術で作られた農機具などの機械類であった。

ガイドブック類は、1部2ペンスの「ポピュラー・ガイド」と、1シリングの「カタログ」、それに4巻本の「絵入りカタログ」の3種類が制作された。「絵入りカタログ」の売れ行きはかんばしくなかったが、1シリングカタログは28万部以上売れた。

参考文献:

『大国の興亡と万国博覧会誕生』 竹内忠 2000 <D7-G86>
春山行夫 『万国博』 筑摩書房 1967 <606.7-H239b>
松村昌家 『水晶宮物語』 筑摩書房 2000 <D7-G58>
吉見俊哉 『博覧会の政治学』 中央公論社 1992 <D7-E89>