1851年第1回ロンドン万博

世界初の万博、大成功

名称
:The Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations
開催期間
:1851年5月1日~10月15日
場所
:ロンドン(サウスケンジントン、ハイドパーク)
入場者数
:603万9,000人(有料での入場者のみ)

1851年に開催された第1回ロンドン万博は、世界で最初の万国博覧会である。ロンドンのハイドパークに建てられた会場は、その外見からクリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれ、この建物自体が最大の目玉展示物であった。

この万博を中心となって推進したのは、ヴィクトリア女王の夫であり王立技芸協会会長のアルバート公であった。当時ロンドンの公文書館で館長補佐をしていたコール(H. Cole)は、1849年にパリで開かれた産業博覧会を参観し、フランスが万博開催を果たせなかったことを知って、予定していた国内博覧会を国際博覧会に拡大することをアルバート公に進言し、アルバート公はこれを受け入れた。

当時のイギリスは18世紀末から始まった産業革命により農業中心の伝統的な産業が後退し、代わって工場生産業が幅をきかせるようになっていた。進歩の一途をたどった世界の工場イギリスの繁栄は明らかであり、イギリスはこの万博を開催することで、その圧倒的な工業力を世界に知らしめることになったのである。

参加国は34カ国で、141日間の会期で一日の平均入場者数は約4万3,000人、10月7日には約11万人の最高入場者数を記録した。会期中の延べ入場者数は約604万人で、この数は当時のイギリスの総人口の約1/3、ロンドンの人口の3倍に当たる。これだけの人々が入場した背景には、国内的には印刷技術の進歩による宣伝効果や、会場までの交通手段が鉄道網の発達により格段に進歩したことが考えられる。また国外についても同様で、海上帝国のイギリスは定期蒸気船航路で南・北アメリカ、アジア、アフリカに分散する植民地を結び付けており、ロンドンは文字通り世界の中心として君臨していた。

出品者は1万3,937人、うち半数以上を大英帝国からの出品が占めた。出展品は、鉱物・化学薬品などの原料部門、機械・土木などの機械部門、ガラス・陶器などの製品部門、美術部門(絵画を除く)のように分類されていた。

この万博は大成功を収めた。約52万ポンドの収入があり、利益は約18万ポンドにものぼった。そしてその利益をもとにしてできたのが、150年以上たった今もなおサウス・ケンジントン一帯に残る、ヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムや科学博物館、ロイヤル・アルバート・ホールなどの文化施設である。

参考文献:

『万国博覧会の夢 : 万博に見る産業技術と日本 : 平成12年度特別展図録』 千葉県立現代産業科学館 2000 <D7-G52>
松村昌家 『水晶宮物語』 リブロポート 1986 <D7-74>
吉田光邦 『万国博覧会 : 技術文明史的に』 改訂版 日本放送出版協会 1985 <D7-67>
吉見俊哉 『博覧会の政治学』 中央公論社 1992 <D7-E89>
Finding, J. E., Pelle, K. D. ed.: Historical dictionary of world's fairs and expositions, 1851-1988 (Greenwood Press, 1990) <D7-B3>