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スタアとバンブ

第1議会から日清戦争までのいわゆる初期議会期、藩閥政府と民党のはざまにあって複雑微妙な動きを示した有力者に陸奥宗光、後藤象二郎、河野敏鎌らがいる。このうち、政官界・新聞界の最も注目するところが「剃刀」とも「魔王」とも評される陸奥の動向であった。陸奥は海援隊以来の縁で自由党土佐派と親しい。陸奥は紀州藩の重臣の子だが、明治初期の官員録には陸奥の出身地を「土佐」とするものがあるほどだ。自由党総理の板垣退助、初代衆議院議長の中島信行、吉田茂首相の実父の竹内綱は陸奥の旧友である。中島の亡妻・初穂は陸奥の妹であり、中島は義理の兄弟でもある。また神奈川県知事時代の縁で自由党関東派の領袖・星亨とも親密である。さらに陸奥は「紀州組」と呼ばれる和歌山県選出代議士の院内会派を手兵として抱えており、衆議院への影響力はただならざるものがあった。そこで議会に波乱が生ずるとき、陸奥の動静は一つの焦点であり、あるときは感嘆の目を以て、またあるときは疑惑の目を以て見つめられたのである。


その陸奥が議会への働きかけの窓口として頼りにしていたのが、中立系会派・独立倶楽部の幹部で従弟の岡崎邦輔代議士である。「岡崎邦輔関係文書」の中には「星を議長とする方向で動け」とか「同じ内容の質疑をくり返すアドレス戦術で閣僚答弁の矛盾を引き出せ」など陸奥の密命を伝えるきわどい中身の手紙が多数残されている。


さて、書翰はいうまでもなく紙に書かれている。その場で消えてしまう音声言語と異なり、「もの」として残る。僅かな可能性ではあるが、盗難・窃視・転写・転送などで好ましからぬ第三者の目に触れぬとも限らない。そこで陸奥は機密書翰では自分の署名を「御存知」「福助」などと書いている。「福助」は陸奥の雅号「福堂」からきているようだ。働きかけの対象については星亨を「スタア」、陸奥配下の新聞人・竹越三叉(与三郎)のことを「バンブ」と表記している。苗字(の一部)を英語になおしたわけだが、これでどれくらい秘密が堅くなるのだろうか。黒田清隆は「○○伯」などと伏せ字を手紙の中に使うのが得意だが、星=スタアではすぐに正体が割れてしまう。せめてシュテルンとかエトワールくらいにしたいところだ。もっとも稀代の切れ者と言われた陸奥のことである。正体を隠すつもりなどさらさらなく、案外、情況を楽しんでいたのかもしれない。


晩年の陸奥 大磯の別邸にて[肖像]
晩年の陸奥 大磯の別邸にて
『陸奥宗光』所収
星亨 明治25年7月24日頃[肖像]
星亨 明治25年7月24日頃
「星亨関係文書」195

陸奥宗光書翰 岡崎邦輔宛 明治29年1月26日「岡崎邦輔関係文書」11-4

陸奥宗光書翰 岡崎邦輔宛 明治29年1月26日 「岡崎邦輔関係文書」11-4 [史料画像]
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