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第6章 55年体制の形成

ホーム > 第6章 55年体制の形成 : 概説

概説

  1. a. 吉田内閣から鳩山内閣へ
  2. b. 55年体制の成立
  3. c. 安保闘争前後

a. 吉田内閣から鳩山内閣へ

吉田茂と鳩山一郎 『毎日グラフ』第186号所収
吉田茂と鳩山一郎 『毎日グラフ』第186号所収

昭和26(1951)年9月の講和条約締結を前に、鳩山一郎ら大物政治家の公職追放が解除され、反吉田勢力の結集と政界再編への動きが強まった。度重なる衆議院解散や、造船疑獄事件などで支持率が低下する吉田政権に対して、昭和29(1954)年11月、反吉田系の保守新党として日本民主党が結成され、鳩山が総裁となった。翌月吉田内閣は総辞職し、鳩山内閣が成立した。

史料と解説

6-1鳩山一郎の復帰
  • 新日記 昭和25年~27年
6-2改進党の結成
  • 改進党綱領・宣言・政策大綱他
6-3吉田対鳩山
  • 吉田茂書翰 林譲治・益谷秀次宛
  • 鳩山一郎書翰 吉田茂宛
  • 分党声明書
  • 昭和二十八年四月総選挙遊説日程
6-4日本民主党の結成
  • 新党促進準備会
  • 新党創立委員会役員
  • 綱領案
  • 宣言案・決議・組織要綱(案)
  • [日本民主党党則(案)]
  • 政策大綱(案)
  • 党名委員会報告
  • 日本民主党立党宣言・綱領・政策大綱・党則
6-5吉田退陣
  • 総理大臣に進言(閣議席上)

b. 55年体制の成立

日本社会党統一大会 『目で見る議会政治百年史』所収
日本社会党統一大会 『目で見る議会政治百年史』所収

自由民主党結成大会 『昭和 二万日の全記録』第10巻所収
自由民主党結成大会 『昭和 二万日の全記録』第10巻所収

昭和30(1955)年2月の総選挙で鳩山内閣与党の日本民主党は、過半数を獲得することができなかった。一方、講和問題をめぐり左右に分裂していた社会党の再統一の動きが強まったこともあり、保守合同への気運は高まって、同年10月に社会党が統一したのに続き、11月には日本民主党と自由党が合併し、自由民主党が結成され、二大政党対立の図式(いわゆる55年体制)が成立した。

史料と解説

6-6社会党の統一
  • [日本社会党統一大会宣誓書]
  • 日本社会党綱領・運動方針・政策大綱
6-7保守合同
  • [日誌] 昭和三十年三月下旬至同年九月十五日
  • 新党結成大会議案
  • 吉田茂書翰 林譲治・池田勇人宛
6-8日ソ交渉と鳩山内閣
  • [日ソ交渉関係メモ]
  • 吉田茂書翰 林譲治宛
6-9石橋内閣
  • 遊説演説原稿

c. 安保闘争前後

岸信介内閣下の昭和35(1960)年、日米安全保障条約の改定をめぐって、与野党が激しく対立し国会は混乱した。院外でも国民を巻き込んだ空前の反対運動が起こったが、6月19日に条約は自然成立した。翌月、岸内閣は退陣、池田勇人内閣が成立した。池田首相は「寛容と忍耐」を唱え、経済重視政策への転換が打ちだされ、高度経済成長を力強く促進した。

史料と解説

6-10岸内閣と警職法
  • [議事運営に関する要求書]
6-11日中関係
  • [訪中帰国挨拶状]
6-1360年安保
  • [ノート] 新日米安保条約(1)
  • [衆議院日米安全保障条約等特別委員会質疑原稿](1)
  • [総長所感日誌]
  • アイゼンハワー書翰 岸信介宛
  • [国会解散を要求する演説草稿]
  • 浅沼委員長大阪談話
6-14池田内閣の所得倍増論
  • 総理所信表明演説草案 経済之部
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