歴史史料とは何か|史料にみる日本の近代

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歴史史料とは何か

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歴史とは、過去の事象を現代人に分りやすく筋道を立てて叙述したものである。歴史がしばしば「物語」として受け止められるのは「分りやすい筋道」があるからである。実際、かつて歴史は文芸・宗教と重なっていたし、今日でも文芸との境界は必ずしも判然とはしていない。

さて、過去に存在した事象を把握し筋道を立てるのに役立つ材料を「史料」と呼ぶ。紙に書かれた文献史料がすぐに頭に浮かぶが、口頭伝承、金石文、絵画、録音、映像(写真、動画)など様々な種類がある。遺物・遺跡なども広い意味の史料である。

史料は一つ一つ、歴史研究を行う上での有効性・信頼度(信憑性)が異なり、これを見極める作業を「史料批判」と呼ぶ。文献史料を例にとると、その目安となるものは、その史料を「いつ」「どこで」「だれが」書いたか、の三要素であり「そのとき」「その場で」「その人が」の三要素を充たしたものを「一次史料」と呼び、そうでないものを「二次史料」と呼んでいる。

一次史料の代表的なものには日記、書翰、公文書がある。憲政資料室は幕末明治期から昭和戦後期にかけての政治家(軍人・官僚を含む)の日記・書翰を大量に所蔵している。国の公文書は原則として国立公文書館(外交文書は外務省外交史料館、陸海軍文書は防衛省防衛研究所図書館)に収蔵されているが、憲政資料室所蔵の文書の中にも公文書やその草稿が多数含まれている。今回の展示会の掲載史料はそのほとんどが、当事者が出来事の現場でその時に書き残したものであり、当時の生々しい息遣いが伝わってくるものばかりである。

さて、日記は古くは当時の公卿が儀式の覚書として書いたものだが、近代の日記は基本的に個人の行動記録である。従って日記を通覧すれば、その人物の行動を長期にわたって追体験し、併せて人間関係を容易に把握することが出来るという利点がある。大袈裟に言えば、その人物を取り巻く時間と空間を認識できるわけである。しかも日記には本人の内面や秘事などが書かれていることも少なくない。これらは他の史料には無い長所であり、研究者が史料調査に当って、まず日記を捜す所以である。

倉富勇三郎の日記 大正15年
倉富勇三郎の日記 大正15年

もっとも日記は史料として万能ではない。人間の情報収集能力や認識力は限られたものなので、記載された内容に誤りがあったり不完全なことは珍しくないし、困ったことには政争・政変のときなどは多忙や疲労のために日記が書かれないで終ることもある。たまに「後世ノ為ニ特ニ記シ置ク」などと添書きがあると、つい飛びつきたくなるが、早合点は禁物である。それは日記の筆者(記主)が、自分が歴史という舞台の上に立って主要なキャラクターとして演技していることを自覚している証拠だからだ。

田健治郎の日記 大正7年
田健治郎の日記 大正7年

日記があるまとまった時間と空間を把握できる史料であるのに対し、書翰で把握できるのは非常に限られた時間内での空間である。こう言ってしまうと日記より書翰の方が史料として劣っている感じを受けるが、決してそうではない。それは日記が自分を相手とする静態的なものであるのに対し、書翰は他人を相手とする動態的なコミュニケーション手段だからである。そこには相手との政治的・社会的な関係性に基づく様々な駆け引き・情報交換などが極めて直截的な形で赤裸々に顕われている。上下・親疎から始まって利害・損得、本音と建て前、言ってよいことといけないこと、秘密漏示と欺瞞誘導など、自他の間の人間関係がありとあらゆる局面で端的に表現されているのである。

日記が比較的制限の少ない内的世界への表出であるのに対し、他人を相手とする書翰は関係性に基づく制約が多く、「外面(そとづら)」であるがゆえに政治的・社会的存在としての記手がはっきりと輪郭を表わしているとも言えるのである。例えて言えば、日記が積分型の面白さを持つ史料であるのに対し、書翰を読むことには微分型の楽しさがあると言えよう。

斎藤実の英文日記 明治17年
斎藤実の英文日記 明治17年
真崎甚三郎の日記 昭和11年6月 押収ラベルがある
真崎甚三郎の日記 昭和11年6月
押収ラベルがある

個人の営みである日記や書翰は記主の個性を反映して色々な特色を持っている。一年分がA5判ノート18冊と無類の分量を誇る倉富勇三郎日記、分かち書き形式の藤沼庄平日記、斎藤実の英語日記、和風漢文で記述された田健治郎日記、盆栽培養記録から政務日記にスリップ(食通日記のこともある)する伊東巳代治日記等々である。2.26事件に連座した真崎甚三郎の日記には憲兵隊の押収印が生々しい。

一方、書翰の書風は明治10年ごろを境に大きく変る。これは清国から新しい書風が伝わって御家流がさびれたからだが、一部の公卿は公伝前から新書風で書いている。さすがに公家衆は知識人である。また右上がり平行四辺形の字体は神経質でプライドが高い人の書き癖と言うが、山県有朋徳富蘇峰の字体がまさにこれで、 しかも二人は親密な関係であった。松方正義大浦兼武大木喬任後藤象二郎らの筆跡は、その読み難さにより研究者泣かせだが、これは史料講読の隠れた楽しみであり、苦しみでもある。

ちなみに明治期の書翰は、そのほとんどが封筒に切手の貼られていない「使書」である。確実さと秘密保持を重視して使者に書翰を持たせる方式だが、郵便もときどきある。使用された切手の中に、新旧の小判切手をよく見かけるが、コレクション価値の高いものは残念ながら含まれていないようだ。

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