国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

1890年代の日記より

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主なできごと

1890年7月1日
第1回衆議院議員総選挙
1890年11月29日
第1回帝国議会開院式
1894年3月1日
第3回衆議院議員総選挙
1894年8月1日
日清戦争(清国に宣戦布告)
1895年4月17日
下関条約調印
1895年4月23日
三国干渉
1898年6月30日
第1次大隈内閣(隈板内閣)成立
1898年7月16日
民法施行

明治23(1890)年6月1日

明治の女子教育 
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午後に桑[サンフランシスコ]を指して出発の日なれど、朝教会に行き、今一度日本語の説教を聞き、しかる後、野毛丁[町]の館に帰り、仕度をなし、再び父上の御勧を受く。「金銭の価値を知て無益に費用せず、謹んで能く経済を守り、毎月その計算を国本[くにもと]に報ずる事」。

明治23(1890)年11月25日

帝国議会の初召集と議長選挙  帝国議会
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帝国議会始めて召集せらる。衆議院議員衆議院(内幸町)に集会す。書記官長曽根荒助、仮に議長の職を行ふ。議長候補者三名を選挙す。中嶋信行議長となり、津田真道、松田正久三氏当選す。副議長候補者三名を選挙す。津田真道、楠本正隆、松田正久当選す。

明治23(1890)年11月29日

第1回帝国議会の開院式  帝国議会
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天皇式場に出御、勅語を朗読す。午后衆議院議員議場に会し、勅語奉答の事を議す。

明治24(1891)年11月10日

シンガポールのホテル事情  海外
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午後第四半、新嘉坡[シンガポール]着す。ルフールホテルに一泊、取扱甚だ不可なり。食物もまた甚だ不味[まずい]。始めて仏船の美味を感ぜり。

明治24(1891)年11月30日

アレキサンドリアの様子  海外
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日曜午前五時、アレキサントル着す。天気にして恰[あたかも]春陽の如し。高楼層閣櫛比し、旧時の大都府に負かざるべし。

明治25(1892)年8月3日

シンガポールで日本の情勢を知る  海外 図書館・読書
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午前第六時、新嘉坡[シンガポール]解纜[かいらん]す。新嘉坡において日本新聞中の田中司法去り佐野出る、且西郷、品川の遊説を伝ふ。何処迄に不明に侵入するや、実に慷慨[こうがい]に堪えず。特に書す。

明治25(1892)年8月26日

牛乳の想い出  娯楽
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この日、巡視中農園において相嘗[こころ]みたる牛乳は、至て新しくして、且味[あじわひ]頗[すこぶ]る美なり。真[まこと]に米国[アメリカ]在留の時を想ひ起せり。

明治25(1892)年9月24日

瀧本金蔵の湯 
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午前七時過、室蘭港より端舟に乗り、炭鉱鉄道会社の桟橋を渡り、直[ただち]に汽車に乗り、登別停車場において下り、直に馬に乗り、温泉場に至る。…温泉は瀧の湯・下の湯等ありて、実に怡楽[快楽]の場所なり。

明治26(1893)年7月30日

自由万歳  選挙
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星氏出発の后で、龍野は懇親会場に臨み、山田氏の紹介にて我党方針の一班を演説し、喝采[かっさい]湧くが如く自由万歳を祝し散会せり。

明治26(1893)年8月18日

カナダの大富豪を訪問  海外
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午後当府において、百万の財産家(Million earl ミリオン イエール)と称するDunsmuir ダンスミュイア氏殿下を訪問し、自宅に来臨を請ふ。依て殿下に陪し、同人の邸宅に至る。海浜丘陵上に建築せるをもって、ジラルジヤ海峡を俯瞰[ふかん]し、兼てまたヴィクトリヤ全市を一眸の下[もと]に集め、風景最も宜し。暫時庭園を逍遥し、客室に入り家族と対話の末、同人に送られホテルに還る。

明治26(1893)年10月23日

感動の演説会  選挙
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午前十一時石の巻を出て、桃生郡深谷村広淵[ものうぐんふかやむらこうえん]に抵[いた]り、広淵寺の公会に臨む。聴衆一千五百余、瀬戸、重野、龍野、板翁出演。非常の感動を与へ、午後八時半散会。

明治26(1893)年10月30日

宮城第5区の補欠選挙戦  選挙
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この夜、稲井村某氏の宅に開ける演説会に臨む。聴衆二百名斗[ばかり]、重野氏先づ立憲政体論を述べ、余は自由党の方針に就て三時半演説し、夜半散会せり。改進党の壮士両三名来り妨害を企つ。成らず。遂に逃げ去れり。

明治27(1894)年1月1日

正月の天皇・皇族への挨拶回り  正月
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快晴。午前九時参朝、両陛下に拝謁し、青山御所に参り、皇太后に拝謁、続て東宮殿下に拝謁し、その後各親王に参賀して正午帰邸す。

明治27(1894)年1月1日

ドイツでの正月  海外 正月
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旅館食堂には電燈をもって、千八百九十四年の文字を青紅色打交へて映出し、光耀燦然美観謂ふはありなし。楽音は洋々として梁塵を浮べ、歓声は殷々として満堂を動かす。羈旅の遊客もまたこの吉辰に遭ひ、互に祝盃を挙げて新年を賀し健康を祝せり。

明治27(1894)年3月1日

棍棒に短銃で応戦  選挙
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改進党の暴士数十名棍棒を振り、礫[つぶて]を抛[なげう]ち、余を要撃せんとす。余車上彼等を大喝し、短銃一丸を放てば、彼等皆四方に逃げ散れり。

明治27(1894)年4月17日

バチカン見物  海外
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「サン・ポーロ」寺は、「タイバー」河畔にあり。彼の耶蘇[ヤソ]の高弟「セント・ポール」の墳墓の地に、「サン・ピエトロ」寺に均しき伽藍[がらん]を建築せんとて、法王の勧誘に依り「コンスタンチン」大帝の起工したる所なり。後歴代の帝王法王等は、切[しき]りに荘厳なる修飾を施し、羅馬[ローマ]寺院中最美最麗最大なるものとなりたり。

明治27(1894)年7月24日

パリで知る戦争の開始  日清戦争 海外 図書館・読書
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本日発刊の新聞紙を閲するに、我軍船朝鮮海岸を砲撃したりとの電報を掲ぐ。日清間の関係、弥[いよいよ]切迫したるを覚ゆ。国家の為め憂慮措く能[あた]はざるなり。

明治27(1894)年8月19日

ニューヨークで寺島と談話  海外
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本日、寺島伯来訪。胸襟を披ひて、本邦及海外に関し種々談話を為し、殊[こと]に快楽を覚へたり。

明治27(1894)年8月21日

観劇を通じてアメリカ人の日本観に触れる 海外
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来訪者殿下と談話中、余は殿下より暫時の御暇を請ひ、姪剛十郎の案内に依り「ミカド」と称する劇場に赴き、米人[アメリカ人]が如何なる思想と考按とをもって我帝国の状態を模写するやを一覧し、了[おわっ]て屋上園(ルーフ・ガーデン)を観覧して、直に帰館せり。

明治27(1894)年11月12日

異国での誕生日 日清戦争 海外 誕生日
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今晩は予の誕生日なり。五十二年の誕生日を、清国盛京省の金州城内において祝するも、また愉快と云べし。

明治28(1895)年3月24日

李鴻章狙撃  日清戦争 事件
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李鴻章狙撃せられ疵の深浅分らず。直ぐ石黒、佐藤を差越されよ。

明治29(1896)年3月29日

登院閉院式  帝国議会
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登院閉院式。十二時赤坂離宮にて内閣総理より宴会。

明治29(1896)年5月14日

大久保利通の十九年忌 
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大久保侯十九年忌参拝。本野盛亨より頼醇の軸を。皇女拝祝。

明治30(1897)年11月28日

友人、石黒忠悳との旅行 
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午前八時、西京[京都]停車所にて沼津に向て発す。石黒氏は名古屋にて下車一泊す。午後七時、沼津に着す。

明治31(1898)年6月10日

民法典論争の終結  帝国議会
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議会開会九時出院、伊藤総理演説好し。民法施行法案継続の案否決。民法通過。衆議院増税案否決議会解散。午後三時黒田宅に行く。

明治31(1898)年8月1日

第二学期開始 
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本日より、第二学期授業始めあり。近衛院長の訓戒あり。帰途、平岡君を訪ふ。夜吉田貢を訪へり。

明治31(1898)年9月15日

清国を視察  外交 海外
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総理衙門[そうりがもん]及李鴻章を訪問す。午後各公使を問。

明治32(1899)年2月14日

バレンタイン・デー  図書館・読書 娯楽
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本日はValentineの日なりしかばチャールス ラムの「St.V.day」を読み、またチョーサーの”P.F.[The Parliament of Fowls]”を十時まで読む。しかして後、仕事にかゝる。午後に二十三号参る。夕には二十七号認む。

明治32(1899)年5月24日

夫人としての外交デビュー  外交
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英国公使館にて英国女皇の御Birthday園遊会に行。この日始めて青木大臣に面会し、また久々にてのSocial Gatheringとて誠に面白くかんず。