国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

石黒忠悳

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石黒忠悳の肖像写真

石黒忠悳

いしぐろただのり
1845年~1941年

石黒忠悳の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 「日記」は、1899年~1936年まで46冊。殆んどが博文館当用日記に書かれる。貼り込み資料や挟み込み資料が多数存在。
  • 業務日誌として、「營務日記」7冊。
  • 巡回日誌は、台湾・四国・満韓等5冊。
  • ドイツ出張中の「日乗」は、巻二~巻四までで巻一を欠く。ドイツ滞在中の森鴎外も登場。
  • ほかに、「石黒忠悳韓清旅の日記」「高野紀行」「観楓紀行」「美島日録」「日録」5冊がある。

石黒忠悳の日記より

明治20(1887)年10月8日

汽車の中の反省会  海外
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〇九時停車場より発車す。〇車中三人の懺悔[ざんげ]話あり。奇極る。例により森最も多罪、石黒これに次ぎ、谷口割合に少なり。
明治21(1888)年1月13日

石黒のドイツでの観劇  海外
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〇午後六時半谷口森江口を招き、山口と共に独乙[ドイツ]テアートルに赴き、十一時帰宅す。Götz von Berlichingen mit der eisernen Hand. Schauspiel in 5 Aufzügen von Goethe. Pittschau男, Geszner女, Pospischil女.
明治21(1888)年2月11日

43歳の誕生日に  海外誕生日
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本日は我が誕生日にしてこれを算ずれば、余弘化二年乙巳二月十一日をもって奥州梁川の陣屋に生れ、夙[つと]に両尊を失し、流離艱難苦学刻志、遂に朝に仕へて纔[わずか]に十夫の長たるも、事業の世に著きものなく碌々[ろくろく]今に至る。今明治二十一年戊子二月十一日にて齢[よわい]を重ぬる事四十三年、人世を五十年とすれば既に纔に余すもの七年、既往をもって後年を徴すれば七年間になし得べき事業果して如何ぞや。
明治21(1888)年7月5日

森林太郎、愛の別れ 海外
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〇車中、森はその情人の事を語り、為に愴然たり。後互に語なくして仮眠に入る。
明治21(1888)年7月27日

森林太郎、愛の行方  海外
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〇今夕多木子報曰、その情人ブレメンより独乙[ドイツ]船にて本邦に赴きたりとの報ありたりと。
明治28(1895)年3月24日

李鴻章狙撃  日清戦争事件
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李鴻章狙撃せられ疵の深浅分らず。直ぐ石黒、佐藤を差越されよ。
大正元(1912)年7月30日

「大正」の出典 
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〇本日大正タイシャウ元年と改元せらる。公羊伝[くようでん]曰、 「君子大居正」[君子は正[せい]に居ることを大なりとす]。易曰、「大亨以正天之道」[大いに亨[とお]りて以て正しきは、天の道なり]。

石黒忠悳の日記一覧 (国立国会図書館デジタルコレクション収録分のみ)

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