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第二章 さまざまな挙式スタイル(明治~昭和)

目次
本の万華鏡第38回 ふりかえるブライダル~結婚式の歴史と文化~第二章 さまざまな挙式スタイル(明治~昭和)

第二章 さまざまな挙式スタイル(明治~昭和)

第一章では室町時代から江戸時代にかけて結婚式の原型ができあがっていく様子を見てきました。新郎の家で三々九度などを行う結婚式は、昭和の中頃まで一般的だったようです。

『The ceremonies of a Japanese marriage 5版』(T. Takagi, Photographic Studio and Art Gallery 1916)

『The ceremonies of a Japanese marriage 5版』(T. Takagi, Photographic Studio and Art Gallery 1916)

外国人に向けて日本の結婚式の様子を紹介する写真集。モノクロ写真に彩色を加えた「彩色写真」によって、三々九度を中心とする儀式の一部始終が鮮やかに写し出されています。

自宅での結婚式が続いた一方、明治時代からは特定の宗教が関わる結婚式が新たに登場し、挙式スタイルが多様化していきます。

それでは、神前式、キリスト教式、仏前式、人前式という明治以降に登場し、現在でも一般的な4つの挙式スタイルを見てまいりましょう。

介添え狐

神前式

おこん

まずは神道の結婚式ね。現在では「昔ながらの挙式スタイル」とイメージされがちだけど、意外と新しく、明治時代からはじまったのね。

神前式のはじまりについては、諸説あるのですよ。

介添え狐

神前式はいつはじまったのか

いくつかある説の一つは、日比谷大神宮(現在の東京大神宮)を、神社における神前式のはじめとする説です。明治33(1900)年に、宮中三殿の一つであり、天照大神を祀る場所である賢所かしこどころで皇太子殿下(後の大正天皇)の結婚式が行われました。この結婚式に対する社会の関心は大きなものでした。『東京大神宮沿革史』【175.936-To456t】によれば、日比谷大神宮を本院とする神宮奉斎会は、事業として神前結婚式に取り組み、明治34(1901)年に模擬結婚式を行いました。その後も神前式の普及に力を入れたといいます。

『風俗画報』(東陽堂 1889)

大正天皇の結婚式の様子

風俗研究会 編『現代結婚宝典』(風俗研究会 1913)

日比谷大神宮の結婚式

『[東京名所写真帖]』([ ] 1900)

日比谷大神宮

『[東京名所写真帖]』のキャプションで「本社にて神道に依り結婚式を挙ぐる者多し」と紹介されています。

さらに、それより前から他の神社で神前式が行われていたという説も多くあります。
梅棹忠夫は、明治20年代に出雲大社の大宮司である千家尊福(1845-1918)がキリスト教に触発されて結婚式を「制定」したとし、これが神社における神前式の原型であるとしています(1)
平井直房は、日比谷大神宮や出雲大社の説より以前に神前式の源流があると考え、その例として明治8(1875)年に美濃国の関村(現在の岐阜県関市)で行われた結婚式を紹介しています(2)。この関村の結婚式は、石井研堂の『明治事物起原』にも「神前結婚の始」の一例として記されています。
その他に、日光二荒山神社で明治33(1900)年に結婚式が行われたとの報道もあります(3)

石井研堂 著『明治事物起原 上 改訂増補版』(春陽堂 1944)

美濃国関村の結婚式

永島式結婚式の登場

ところで、おこんさん。明治時代になって、神前式を自宅でも行えるようなサービスを考えた人がいたのですよ。面白いでしょう?

介添え狐

おこん

神前式を自宅でも行えるなんて便利ね。

婚礼用品調達商を営んでいた永島藤三郎が、明治40年代に「永島式結婚式」を考案しました。これは、永島婚礼会が各家庭の予算や家の格式に応じて祭壇などの道具一式を用意し、神主や巫女などを手配するデリバリー方式の結婚式でした。永島藤三郎の『結婚式概要』【372-154】では、提供サービスごとに金額が設定された料金表も見ることができます。

帝都防空史編纂所 編『帝都之防護』(帝都防空史編纂所 1934)

永島藤三郎

日本赤十字社 編『日本赤十字社赤十字博物館報 第12号』(日本赤十字社 1935)

永島式結婚式

神前式とホテル・結婚式場

おこん

ほかにも江戸時代と違う点はあったりするのかしら?

これまで見てきた神社や自宅での神前式の結婚式だけでなく、
ホテルや結婚式を専門とする式場における神前式の結婚式も登場したのですよ。
明治から昭和初期にかけての東京のホテルなどの様子を見てみましょう。

介添え狐

外国からの賓客をもてなすホテルとして明治23(1890)年に開業した帝国ホテルが、結婚式後の披露宴の会場として利用されることは、開業当時からあったとされています。また、明治9(1876)年開業の西洋料理店・上野精養軒も結婚披露宴の会場として使われていたようで、大正3(1914)年に詩人・彫刻家の高村光太郎(1883-1956)と洋画家の長沼智恵子(1886-1938)が披露宴を行いました。このように名士がホテルや料理店で披露宴を行う例はあったようですが、当時としては珍しかったともいわれています。

明治時代の上野精養軒

帝国ホテル百年史』【DH22-E551】によると、大正期に入ると永島式結婚式がますます広まり、家庭だけでなく、帝国ホテル、築地精養軒、華族会館などで永島式結婚式による名士の結婚式と披露宴が行われるようになったようです。
大正11(1922)年に開業した東京會舘は、結婚式場としての常設の設備は持たなかったものの必要に応じて和室を結婚式場としていたようで、大正11年の『日本紳士録』【86-41ヤ】に掲載された広告には「純日本間(結婚式挙行、神官依頼の便、化粧着付其他準備完全)」と書かれています。

田山宗尭 編『日本写真帖』(ともゑ商会 1912)

築地精養軒

『東京風景』(小川一真出版部 1911)

華族会館(室内)

黒田鵬心 著『建築と趣味生活』(新光社 1924)

東京會舘

大正12(1923)年の関東大震災で多くの神社・披露宴会場が被害を受けると、被害が少なかった帝国ホテルは結婚式・披露宴の会場として注目されるようになりました。帝国ホテルは、挙式と披露宴をセットで提供する「ホテル結婚式」に注力し、昭和に入ると館内に常設の神前結婚式場を設けました。

黒田鵬心 著『建築と趣味生活』(新光社 1924)

帝国ホテル ライト館

アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル2代目本館(通称:ライト館)。落成式当日に関東大震災に遭遇したものの幸い建物の被害は軽微でした。

他の東京の式場はというと、東京會舘が震災後の再建工事で神前式の結婚式場を新たに設け、被災から3年6か月ぶりに再開しました。さらに、昭和6(1931)年に目黒雅叙園が結婚式と披露宴を一貫して行うことができる施設として開業しました。

『帝劇 (5月號)(54)』(帝国劇場文芸部 1927)

1927年の東京會舘の案内

『写真で見る日本 15』(日本文化出版社 1957)

目黒雅叙園の様子

キリスト教式

続いては、キリスト教式です。

介添え狐

おこん

江戸時代では、キリスト教は幕府によって弾圧されているわ。日本ではキリスト教式の結婚式はいつごろから行われているのかしら?

明治時代のはじめにはまだキリスト教を禁止する政策が取られていましたが、明治6(1873)年にキリスト教禁止の高札が撤廃され、布教が黙認されました。このようにキリスト教が広がり始めた時代に、キリスト教式で結婚式を挙げるカップルが見られるようになります。明治9(1876)年に結婚式を挙げた同志社英学校(現在の同志社大学)設立者・新島襄(1843-1890)と山本八重(1845-1932)のカップルもその一組です。新島襄は元治元(1864)年にアメリカに密航して理学・神学を学び、慶応2(1866)年にボストンで洗礼を受けたクリスチャンで、八重は結婚式前日に洗礼を受けています。

新島襄と八重

明治の『風俗画報』や『東京風俗志』では、現在のキリスト教式の結婚式と同じように指輪を交換したり、讃美歌を歌ったりする様子が紹介されています。
なお、キリスト教式での挙式が人気になるのは戦後のことです。

『風俗画報 (日本婚禮式下巻)(113)』(東陽堂 1896)

平出鏗二郎 著『東京風俗志 下』(富山房 1902)

明治時代のキリスト教式結婚式の様子

仏前式

おこん

神道とキリスト教を見てきたけれど、仏教にも結婚式はあるのかしら?

仏前式の結婚式を提唱した人たちの例をいくつか見てみましょう。

介添え狐

仏前式の式次第は宗派によりますが、新郎新婦が数珠を受け取る念珠授与や焼香などが行われる点が特徴的です。

『仏教考古学講座 第9冊』(雄山閣 1937)

本願寺派本願寺の結婚式の様子

明治20~30年代には、自身の結婚式を仏前式で行う僧が現れました(4)。明治25(1892)年には浄土真宗の藤井宣正(1859-1903)が結婚式を行っています。

→島地黙雷(藤井の師)の『仏式婚礼』中の回想

明治35(1902)年には曹洞宗の来馬琢道(1877-1964)が結婚式を行い、写真を使用してアピールしました。この結婚式は、僧侶の妻帯について宗門内で議論を呼び、他宗派でも注目されたともいわれています(5)

→来馬琢道『佛教結婚式次及私解

来馬琢道 著ほか『禅的体験街頭の仏教 : 附・文章生活三十年記念祝賀会記事』(仏教社 1934)

来馬琢道の結婚式

その他にも明治20~30年ごろに仏前式の結婚式を提唱した人物がいます。例えば、立正安国会(後の国柱会)の創始者・田中智学(1861-1939)は、僧が「死者を扱う人」とイメージされ、仏教が慶事から遠ざけられる習俗を宗教に対する理解の不足として問題視し、これを打破するために結婚式を考案しました。

→田中智学による回想『師子王全集 第2輯 わが經しあと

東洋大学創設者・井上円了(1858-1919)も仏前式の必要性を訴えた人物の一人です。井上は、キリスト教は洗礼、結婚式、葬式といった儀式によって人が生まれてから死ぬまで関与するが、仏教は死後のみに関与すると指摘しています。そして、宗教による結婚式を挙げるべきという者が将来出てきた時に仏教による結婚式がなければ、キリスト教による結婚式を挙げることとなり、その結果、キリスト教に信者が流れてしまうと考えました(6)

→井上円了『哲窓茶話

このようにさまざまな人物によって提唱された仏前式は、大正以降、各宗の特色ある式次第で結婚式が執り行われるようになったといわれています。

コラム 『写真週報』に見る戦時中の結婚式

戦時中は物資の節約が呼びかけられ、儀式の簡略化が進みました。当時の内閣情報局が発行していた『写真週報』【雑58-6】には、戦時中の結婚式の模範例が載っています。
昭和15(1940)年9月刊行の号では、花婿は青年団服を着ていたり、花嫁は振袖ではなく留袖を着ていたりしています。

『写真週報 (9月11日號)(133)』(情報局 1940)

留袖の花嫁(1940)

『写真週報 (9月18日號)(134)』(情報局 1940)

いがぐり頭に青年団服の花婿(1940)

太平洋戦争開戦後の昭和17(1942)年にはさらに厳しい状況になっており、「式は簡素に」と記されています。「お客様も男は背広か国民服、女はふだん着で」とされ、なるべく質素な服装が理想とされていたことがわかります。

また、ある農村の結婚式に続いて行われる習俗として、「夫婦餅」と呼ばれる餅つきをしている写真も掲載されています。昭和17(1942)年には、餅つきを蜜月旅行(ハネムーン)の代わりとして紹介している記事もあります。

『写真週報 (9月18日號)(134)』(情報局 1940)

夫婦餅

人前式

江戸時代以前や、戦後も行われていた自宅での結婚式も「人前式」の一種といえますが、ここでは近年行われているような新しいタイプの人前式について紹介していきますね。

介添え狐

人前式は、特定の宗教が関わらず、家族や友人などの出席者が証人となる挙式スタイルです。形式に特に決まりはありませんが、婚姻届の署名・捺印と指輪交換がメインイベントとされることが多いようです。

近年の人前式のさきがけとして「館長式(生活館式)」というものがありました。これは戦後、新憲法の精神に則って古い慣習を見直す流れの中で、1950年代後半頃に全国の公民館や生活館で流行したものです。1951年に設立された新宿生活館では、「結婚式に必要以上の金をかけるくらいなら、それを生活設計にあてて、より豊かな新生活を」というモットーで、比較的低コストでの挙式を行うことができました。1961年の仲人向けマニュアル本『媒妁人全書』【386.4-To425b】には、次のような式次第が紹介されています。

新宿生活館式次第
1参列者入場
2司婚者(館長)入場
3新郎新婦入場(結婚行進曲のメロディにのって)
4婚姻届に署名捺印
5生活館記念帳に署名
6夫婦契りの盃
7誓いの言葉
8(館長からの)お祝いの言葉
9乾杯(館長の「おめでとうございます」に唱和)
10一同退出(結婚行進曲のメロディにのって)

現代の人前式は船上結婚式、スキー場結婚式、列車結婚式など、さまざまな場所・スタイルで行われており、近年は「レストランウェディング」や「ハウスウェディング」なども選択肢のひとつとなっています。
近年のようなレストランウェディングが広まり始めたのは、いわゆる「ジミ婚」が流行した1990年代のこと。派手な演出よりも料理にこだわりたいカップルが、高級レストランでの挙式を選ぶようになりました。
一方、ハウスウェディングは洋風の邸宅などを貸し切って行う、比較的小規模でアットホームなスタイルです。2000年代以降、オリジナリティを重視するカップルから支持を集めています。

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人物紹介

電子展示会「近代日本人の肖像」にリンクします。

  1. ^
    梅棹忠夫「出雲大社―日本探険(第七回)―」『中央公論』76(1), 1961.1, pp.135-151【Z23-9】
  2. ^
    平井直房「例会発表 神前結婚の歴史と課題」『明治聖徳記念学会紀要』30号, 2000.8, pp.1-24【Z9-863】
  3. ^
    『朝日新聞』(東京)1900.10.9, 朝刊, p.3(データベース「朝日新聞クロスサーチ」)
  4. ^
    僧の妻帯に関しては、明治5(1872)年4月25日に「僧侶の妻帯を勝手たる」とする太政官布告第133号が明治政府により出されています。
  5. ^
    武井謙悟『近代日本における仏教儀礼の変遷―仏教系雑誌に着目して―』(博士論文)2020.3.20, pp.209-210
  6. ^
    「真宗にては宜しく仏式結婚を組織すべし」『井上円了選集 第2巻』東洋大学, 1987.10, pp.171-174【H21-E13】