
第三章 今につながる結婚式文化
花嫁衣装いろいろ
花嫁衣装には多彩な種類があります。近年はウェディングドレスが人気ですが、和装の場合は、白無垢・振袖・色打掛がよく選ばれています。
主婦之友社 編『美容と作法』(主婦之友社 1950)
主婦之友社 編『美容と作法』(主婦之友社 1950)
主婦之友社 編『美容と作法』(主婦之友社 1950)
尾形月耕 画『婦人風俗尽』(松本平吉 1898)

わぁ!華やかで、どれもとっても素敵ね!
それぞれの衣装について、豆知識とともにご紹介しましょう。

ウェディングドレス
花嫁衣装といえば真っ先に思い浮かぶのは、純白のウェディングドレスではないでしょうか。白はその清らかなイメージから多くの花嫁に選ばれています。デザイナーの桂由美は著書の中で「白こそが、花嫁を美しく輝かせてくれる」(1)と記しています。
木村慶市 編『洋装百科辞典』(生活研究社 1949)
被服文化協会 編『洋装辞典』(文化服装学院出版局 1955)
英国では、結婚式で白いサテンのドレスをまとったヴィクトリア女王(1819-1901)の姿が熱い注目を集めたと言われています。それ以前の結婚式では、ドレスは白に限らず、青や茶色などの色物も着られていました。坂井妙子の『ウエディングドレスはなぜ白いのか』では、結婚後は着る機会が少ない高価な白いドレスが、ヴィクトリア女王の結婚式をきっかけに上流階級の「ステータスシンボル」となり、やがてそれに憧れをもつ中流階級へと広がっていったと説明しています(2)。
Pick Up ~素敵なウェディングドレスの作り方~
※国立国会図書館デジタルコレクションの図書館・個人送信サービス対象資料で、ウェディングドレスの作り方をご覧いただけます。
白無垢
現代でも、和装の結婚式といえば白無垢姿の花嫁を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
豊原国周『がう商の花嫁色なほしの図』
結婚式に白い衣服を着る習慣は、室町時代ごろから定着したとされます。この習慣はまず武家階級に広まり、中流以上の町人もこれに倣ったといわれます。白無垢はいわば婚礼衣装の本筋のようなもので、時代や地方によって異なるものの、江戸時代末期から明治時代以降に色物の衣装が多く見られるようになってからも、伝統を重んじる旧士族や富裕階級の一部で用いられたようです。
なお白無垢が白い理由については、神聖な色だから、婚家の色に染まるため、清浄無垢を表すため、など諸説あります。
伊勢平蔵貞丈 著述ほか『貞丈雑記 三之上』(文渓堂 1843)
伊勢平蔵貞丈 著述ほか『貞丈雑記 三之上』(文渓堂 1843)
第一章でも紹介した『貞丈雑記』では、婚礼で白い衣装を用いる理由を、白色は「五色の大本」であるためと説明しています。
(明治時代の翻刻『貞丈雑記』【192-55】)
色打掛
色打掛とはその名のとおり「打ち掛けて」着る、色付きの羽織物です。江戸時代、富裕な町人の間では派手で美しい模様のついた衣装が望まれるようになり、色打掛が使われるようになりました。当時は白地・赤地・黒地のものがよく選ばれていたようです。この3色の打掛を順に着るのを「三つ揃い」といいます。
色打掛には「吉祥模様」と呼ばれる、縁起のよい柄がつけられました。特に松や鶴のモチーフは婚礼衣装に用いられることが多かったようです。
『三越 19(3)』(三越 1929)
振袖・留袖
明治時代になると身分制度が形式上取り払われ、多様な婚礼衣装のパターンが生まれました。そして一般の人々の結婚式では黒地に模様のついた振袖または留袖が主流になっていきました。
『婦人倶楽部 18(12)』(講談社 1937)
『三越 7(1)』(三越 1917)

振袖と留袖を並べて見ると、袖の長さがけっこう違うのね。
ええ。現代では新郎新婦の母や親族が着ることが多い留袖ですが、花嫁向けに推奨された時代もあったのですよ。

明治から昭和にかけて論争となったのが「振袖か、留袖か」という問題でした。
振袖の長い袖は若さや格式の象徴でもあり、花嫁姿の華やかさを一層引き立てる存在でした。しかし高価で普段使いできないため「後に何の役にも立たない」「不必要」などと批判され、虚栄やぜいたくだと見なされることもありました。
山脇房子 著ほか『無駄なき生活』(東亜堂書房 1916)
『実業の世界 10(24);大正二年十二月十五日號』(実業之世界社 1913)
留袖は振袖より手ごろな価格で結婚式の後も使える(コスパがいい)ということで注目を集めました。大正時代ごろ、百貨店は中流層向けに留袖をさかんに売り出し、女性雑誌でも留袖の花嫁衣装を取り上げるようになりました。
『婦女界 29(4)』(婦女界出版社 1924)
「現代式花嫁姿」として留袖の写真が載っています。
後々使えない振袖に高いお金を使うのはもったいないけれど、やっぱり振袖を着たいという声に応えて登場したのが折衷案、「ラッキー振袖」。「富久袖(複袖)」とも呼ばれていたといいます。結婚式で振袖として着た後は袖を外して留袖に仕立て直せる、「一枚で二役」の合理的なアイテムでした。袖の布地を子ども服や帯にリメイクする工夫も紹介され、節約と華やかさの両立が図られました。
『主婦の友 40(3);1956年3月号』(主婦の友社 1956)
付け替え用の袖がセットになっていました。
花嫁の定番ヘアスタイル!

花嫁といえば、髪型や帽子も特徴的よね?
おこんさんも白い被り物を被っていますね。それでは髪型や帽子も見てみましょう。

花嫁らしい文金高島田
和装の花嫁姿と聞いて思い浮かべる髪型は、「文金高島田」ではないでしょうか。
「高島田」とは、根元を高く結った島田髷で、江戸時代後期に御殿女中や大名の姫君が結った髪型です。この髪型は明治時代以降に良家の子女の間で清楚な髪型として好まれるようになり、その中でも高尚・優美な「文金高島田」が花嫁の髪型として定着していき、現在でも花嫁の髪型として好まれています。
『主婦の友 13(11);十一月號』(主婦の友社 1929)
変化してきた被り物
文金高島田とともに花嫁の姿としてイメージされるのは、「綿帽子」と「角隠し」ではないでしょうか。これらの被り物の由来は、「被衣」にあると考えられています(3)。
文化10(1813)年に出版された美容のマニュアル本である『都風俗化粧傳』には、当時の被り物のイラストが描かれています。
佐山半七丸 [著]ほか『都風俗化粧傳』(愛文房福井久兵衛)
被衣は、「かづき」または、「かずき」。構造・着装は時代によって異なりますが、平安時代から鎌倉時代にかけて女性が外出時に顔を隠す風習がありました。室町時代から小袖を用いるようになり、これを「小袖被衣」と呼びました。
佐山半七丸 [著]ほか『都風俗化粧傳』(愛文房福井久兵衛)
佐山半七丸 [著]ほか『都風俗化粧傳』(愛文房福井久兵衛)
綿帽子とは真綿を平らに伸ばしてつくったもので、はじめは防寒具として用いられました。元禄以降は、寺詣や花見などで塵除けとしても用いられました。
練帽子とは練絹(生糸で織ってから精練した絹織物)で作ったものです。
佐山半七丸 [著]ほか『都風俗化粧傳』(愛文房福井久兵衛)
揚帽子は武家・庶民の上流婦人が塵除けに用いた被り物です。明治以降にこの「揚帽子」が花嫁衣装の「角隠し」へと変化しました。
第1章で登場した『女重宝記』にも、綿帽子を被った庶民の花嫁姿が描かれています。
[苗村常伯] [撰]『女重寶記 5巻』(又兵衛 1692)
江戸の花嫁の被り物の変化についてはいくつかの説があります。例えば、風俗史研究者・江馬務は、江戸時代の初期に被衣が用いられていたとし、次第に被衣から綿帽子・練帽子へ、そして揚帽子へと転じてきたと考察しています(4)。その他に、被衣は武家に、綿帽子は庶民に広く用いられるようになった後、武家でも使われるようになったという説明もあります(5)。
明治に入ると、江戸時代に塵除けとして使われていた「揚帽子」が変形し、「角隠し」と呼ばれるようになりました。大正に入ると地域差はあるものの、角隠しを用いる例が多く見られるようになったといわれています。
主婦之友社編輯局 編『結婚礼式一切の心得』(主婦之友社 1926)
主婦之友社 編『家庭作法寳典』(主婦之友社 1934)
引き出物
「引き出物」という言葉は、平安時代の宴の帰りに、主人が馬を「庭先に引き出して」客に贈ったことから生まれたそうですよ。

殿堂入りのド定番:鰹節
結婚式の縁起物として長く重宝されてきたのが鰹節。鰹が「勝つ魚」につながることから戦国武士に好まれたともいわれ 、平和な江戸時代になっても祝いの品として用いられ、定着しました。また、雄節・雌節を一対にした「鰹夫婦節」は“二つで一つ”の象徴ともいわれます。
大正時代には百貨店で食料品が取り扱われるようになり、三越や松坂屋などの百貨店では営業部の中に「鰹節部」が創設されました。三越の鰹節部では、桐箱入りの鰹節など、婚礼用の鰹節セットを売り出していました。食料品部や茶部と並んで「鰹節部」が存在していたのですから、一般の贈答用を含め、それだけ鰹節の需要があったということなのでしょう。
『三越 4(10)』(三越 1914)
『三越 12(10)』(三越 1922)
大正3(1914)年に創設された、三越の鰹節部
昭和の新・定番はどんなもの?
鰹節などの縁起物はもちろん定番であり続けましたが、昭和の時代には新たな定番となる引き出物が登場しました。1967年刊行のブライダル情報誌には、喜ばれるものの一つとして「童子の博多人形」や「英国の衛兵をかたどった卓上毛ばたき」などが挙げられています。ほかにも、食器・漆器、鍋などの家庭用品、時計、折りたたみ傘などがおすすめされています。それまで食器などの「こわれもの」は避けられる傾向にありましたが、このころには引き出物として人気を集めるようになっていたようです。
『ブライダル'68 : 結婚するあなたのために・これからの衣食住ガイド』(ジス・ウィーク・イン・トーキョー 1967)
地域による特色
地域によっては、特色ある引き出物が贈られることも。例えば1983年刊行の『結婚動態白書』【EC91-90】によると、東北地方では毛布やシーツ類がよく選ばれているようです。また、北陸地方は、品目数が多く豪華だといわれています(6)。特に富山の鯛や鶴亀などの縁起物をかたどった「細工かまぼこ」は、大きくて華やかです。1979年刊行の資料によると来賓1人あたり4~7キログラムも用意されていたのだとか(7)。
引き出物とセットにされることの多い「引き菓子」についても、香川のカラフルなあられ「おいり」、佐賀のポルトガル伝来の砂糖菓子「千代結び」など郷土色あふれる品々が見られます。
現在の引き出物はカタログ式ギフトが主流なんですよ。ウェブ上で選べるものも増えているようですね。


幅広い選択肢の中から選べるのは嬉しいわね。持ち帰るときの重さを気にしなくていいのも魅力的!
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- ^桂由美『桂由美ウェディングス』,朝日新聞社, 1994.4, p.124【EF35-E434】
- ^坂井妙子『ウエディングドレスはなぜ白いのか』,勁草書房, 1997.1, pp.37-41, 46-51, 57【GG238-G6】
- ^田中圭子『日本髪大全 : 古代から現代まで髪型の歴史と結い方がわかる : 歴代の髪型/結い方/歴史/櫛かんざし/島原太夫/舞妓/相撲/新日本髪』,誠文堂新光社, 2016, p.159【GD68-L10】
- ^江馬務「婚礼式服の変遷」『被服文化』 (88) 文化服装学院出版局, 1964.8【Z6-83】, 井筒雅風 編『江馬務著作集 第7巻 (一生の典礼)』中央公論社, 1988.8, pp.21-24【GB82-E2】
- ^増田美子「花嫁はなぜ角隠しをつけるのか」『花嫁はなぜ顔を隠すのか』悠書館, 2010.5, pp.80-89【GD24-J34】
- ^平野武「資料からみた北陸の家計貯蓄動向」『北陸経済研究』54号, 北陸経済研究所, 1982.11, p.12【Z3-1397】
- ^「V 水産物 7. 富山のかまぼこ」北陸農政局統計情報部編『北陸の特産物 続』, 農林統計協会北陸協議会, 1979.12, p.163【DC81-2】



