コラム

江戸時代における東西の蔵書家サロン


江戸時代後半期に、日本列島の東と西から近世を代表する文化人が現れました。東は江戸文芸界の総帥と言われた大田南畝(1749-1823)、西は浪華の文化人木村蒹葭堂(1736-1802)です。二人は、当時すでに蔵書家として聞こえており、出会うべくして出会っています。

南畝は享和元年(1801)、大坂銅座詰勤務を命ぜられ、大坂南本町の宿舎に入ると以前から名声を聞いていた蒹葭堂を早速訪問しています。翌享和2年(1802)の正月には、蒹葭堂が南畝を訪問し、下戸の蒹葭堂を前にして盃を傾けながら数刻にわたって歓談し、客は薄暮になって辞去したと言われています。しかし、蒹葭堂はその月の25日病に斃れ、南畝をして交友の短さを嘆かしめました。

浅草の料亭八百善で大田南畝、酒井抱一らが会食する図『料理通』

この二人の文化人の周囲には、蔵書家として知られた各分野の名士が集い創作活動や読書会等を催したり、また趣味や書籍を介した交流が見られるようになりました。

南畝は、狂歌師、漢詩人、作家、学者、医者、絵師、幕臣、大名等さまざまな職業を持った人たちと交遊関係にありました。例えば北川真顔(狂歌堂)、尾藤二洲、恋川春町、上田秋成、山東京伝、狩谷斎、岸本由豆流、清水浜臣、亀田鵬斎、小山田与清、塙保己一、伊沢蘭軒、谷文晁、近藤重蔵、鈴木白藤、蔦谷重三郎、市橋長昭、松浦静山、中川忠英等枚挙に遑がありません。これらの人たちとは、時には分野ごとのサークルを形成していました。

西の蒹葭堂も幅広い人脈を誇っていました。南畝と同様職業も広範囲で、漢詩人、作家、学者、医者、本草家、絵師、大名等です。名前を挙げれば、頼春水、上田秋成、本居宣長、佐藤一斎、細合半斎、皆川淇園、山岡浚明、大槻玄沢、小野蘭山、青木木米、谷文晁、浦上玉堂、松浦静山、朽木昌綱等と、多士済々でした。

双方の顔ぶれを見ると、二人とも居住する区域を越えて交流をしていたことが分ります。ここで注目すべきは、二人に共通する蔵書家がいたことです。上田秋成、松浦静山、谷文晁、頼春水らで、以上のことから私たちは、文化人と言われる人たちが当時かなり幅広い付き合いをしていたことを窺い知ることができます。

これら蔵書家の間では借覧や書写のための書籍の貸借が行われ、借りた側ではその書籍が誰から借りた物なのか、さらに貸した側では自分が貸した書籍が必ず手元に戻ってくるような装置として、蔵書印は本来の機能を発揮していたことでしょう。

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「蔵書印の世界」は国立国会図書館の電子展示会です。 電子展示会の各コンテンツでは、国立国会図書館所蔵の様々なユニークな資料について、わかりやすい解説を加え紹介しています。

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