森鴎外の歴史小説で有名になった医師

渋江抽斎

(しぶえちゅうさい)

1805-1858(文化2年-安政5年)


名前

抽斎は号。幼名は恒吉、のちに全善(かねよし)。 字は道純、または子良。

職業

医者、書誌学者

人物

渋江抽斎の名は、「三十七年如一瞬。学医伝業薄才伸。栄枯窮達任天命。安楽換銭不患貧。これは澀江抽斎の述志の詩である。」からはじまる森鴎外の史伝小説によって知られている。鴎外は、武鑑(江戸幕府の職員録)を集めていくうちに、武鑑に渋江の蔵書印が捺されていることが多いことに気づき、渋江の名を注意するようになり、帝国図書館の『江戸鑑図目録』を見るに及んで、渋江抽斎なることを知ったと書いている。
抽斎の生まれは江戸の神田弁慶橋。家は代々弘前藩の定府医官で、文政5年(1822)に弘前藩の表医師として家督をついだ。医学を伊沢蘭軒、儒学を狩谷エキ斎、市野迷庵に学んだ。弘化元年(1844)、幕府の医学校躋寿館の講師、嘉永2年(1849)には公儀御目見の身分となり、コレラに罹り没した。享年54歳。

蔵書印

ほかに、「渋江蔵書」「渋江氏珍玩」「三寿山房」「容安書院」が知られている。

印影のよみ・大きさ

「弘前醫官渋江氏蔵書記」(ひろさきいかんしぶえしぞうしょき):43x21mm

印影撮影資料
蔵書について

抽斎の蔵書は、医学はもちろん、哲学、文学、史学、演劇、古銭におよび、蔵書は硬軟にわたった。3万5千部あったといわれる蔵書だったが、生存中から次男の優善が持ち出して、市中に出回った。
当館所蔵の旧蔵本には、宋版の『山家義苑』のほか、物語草子、黄表紙、三馬編集の『落語中興来由』がある。

電子展示会

「蔵書印の世界」は国立国会図書館の電子展示会です。 電子展示会の各コンテンツでは、国立国会図書館所蔵の様々なユニークな資料について、わかりやすい解説を加え紹介しています。

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