国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

阪谷芳郎:大正4(1915)年2月3日の日記より

阪谷芳郎

大正4(1915)年2月3日

東京市長辞職 

余は電燈問題不調に付、責を引て辞任の旨を言明し、告別の挨拶を述べたり。松木局長も辞任申出たり。

阪谷の東京市長としての四大事業の一つである電気事業は、市長を引き継いだ時からの問題でした。東京市に相次いで設立された電力会社は、電灯料金の値引きと顧客獲得競争を行い、いわゆる三電競争(東京市電、東京電灯、日本電灯)を引き起こしました。阪谷は調停に努めます。料金協定や統一などを提示しますが、交渉は暗礁に乗り上げ、その結果、阪谷市長は辞職することになりました。日記では、自身の辞職の申し出について、また一緒に交渉に携わった松木幹一郎局長の辞職についても触れています。