国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

阪谷芳郎

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阪谷芳郎の肖像写真

阪谷芳郎

さかたによしろう
1863年~1941年

阪谷芳郎の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 「家庭日記」は、阪谷が大蔵省に入省した時期(1884年7月)に始まり、死去(1941年11月)の1か月前まで記された日記。
  • 「東京市長日記」は、阪谷が東京市長在職中の日記。
  • 「万国平和財団経済会議日記」は、明治44年ベルン平和会議に出席した際の日記。

阪谷芳郎の日記より

大正2(1913)年12月19日

吉祥寺・井の頭公園の始まり 
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宮内省出頭、井の頭御料林御下賜あり。
大正3(1914)年1月27日

大正博覧会の工事  経済
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大正博覧会東京市特別館の工事を見る。
大正3(1914)年1月29日

ジーメンス事件  事件
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紅葉館に商工調査委員を招待す。今日衆議院本議場にて、シーメンス事件の質問あり。世論囂々[ごうごう]たり。プーレー氏取調を受く。
大正3(1914)年8月23日

第一次世界大戦の行方  第一次世界大戦
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正午日独国交断絶、…世界は大変、成敗は大人物の出現するや否に存す。予想、欧洲大激戦は九月中一段落、その後は局部戦となり本年内に平和回復のこと、但国土分配に付、再び破裂するや否は知るべからず。
大正4(1915)年2月3日

東京市長辞職 
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余は電燈問題不調に付、責を引て辞任の旨を言明し、告別の挨拶を述べたり。松木局長も辞任申出たり。
大正5(1916)年5月21日

車窓から見たスウェーデン  海外
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汽車中、山間森林を通過す。景色よし。人気質朴一般に露国[ロシア]より富有に見ゆ。
大正10(1921)年11月4日

原敬暗殺事件報  事件
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原首相、午後七時二十五分東京駅にて暗殺の報を聞き、総理大臣邸に立寄る。野田逓相、浅田徳則等在り。帰路金子子爵邸に立寄り、兇変を告げ善後策を談ず。犯人は中岡艮一。(十九才、東京大塚駅ポイントメン)。
大正12(1923)年9月1日

日本倶楽部で遭遇した関東大震災
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晴天。東京大地震。余日本クラブにあり。食堂に赴かんとする為、階段を昇る中途よりふらふら、殆んど転倒せんばかりにて、玄関より道路に走り出て、直[ただち]に自働[動]車にて西片母上を訪ひ、原町宅に帰る。それより昼夜震動絶へず。東京大半焼失の由。
大正12(1923)年9月2日

関東大震災の翌日に 
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王子邸を見舞ふ。破損甚し。渋沢大人夫人武之助等、庭に仮り屋を作り居る。正雄氏消息不明の由。大人と相談し、救済及復活に付大方針を首相市長総監会議所会頭に申送る。
大正14(1925)年5月11日

大正天皇の銀婚式 
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天皇皇后両陛下銀婚式に付、日本クラブ奉祝午餐会。余座長として演説す。関屋宮内次官、皇室の近状に付て話あり。右銀婚式に付、御所へ参賀す。立食の饗あり。記念の御杯を賜ふ。
大正15(1926)年10月22日

神宮外苑竣工 
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晴天、申分なき気候なり。午前八時、外苑広場にて清祓[きよはらい]を行ふ。午后二時、摂政殿下行啓、竣工奉献式を行ふ。
昭和6(1931)年11月11日

渋沢栄一死す 
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午前一時五十分、渋沢子爵薨去す。

阪谷芳郎の日記一覧 (国立国会図書館デジタルコレクション収録分のみ)

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