国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

長崎省吾:明治25(1892)年9月24日の日記より

長崎省吾

明治25(1892)年9月24日

瀧本金蔵の湯 

午前七時過、室蘭港より端舟に乗り、炭鉱鉄道会社の桟橋を渡り、直[ただち]に汽車に乗り、登別停車場において下り、直に馬に乗り、温泉場に至る。…温泉は瀧の湯・下の湯等ありて、実に怡楽[快楽]の場所なり。

登別に行った長崎は、温泉場にでかけます。登別温泉は、江戸の大工であった滝本金蔵(たきもときんぞう)が薬湯温泉のうわさを聞いて妻の皮膚病治療のために、当地に湯小屋を建てて湯治を始めました。、その後、皮膚病が完治したことから、その効能を広めたいと、本格的に湯宿を建てたのが始まりと言われています。