「世界の中のニッポン」(2000年公開電子展示会)より

このページは、2000年に公開した電子展示会「世界の中のニッポン」のコンテンツ「憲政資料 電子展示会」を、国立国会図書館デジタルコレクションへのリンクを追加するなどしてリニューアルしたものです。内容は2000年当時の記述に基づいています。
国立国会図書館憲政資料室所蔵の憲政資料から、代表的なものをご覧いただけます。

幕末・維新期

〔土佐藩大政奉還建白書写〕

【三条家文書書類の部12-8】慶応3年9月

慶応3年7月、土佐藩参政後藤象二郎は大政奉還策を藩主山内容堂に進言。建白は10月に幕府に出され、徳川慶喜は大政奉還を請うことに。

亡友帖.新政府綱領八策

【石田英吉関係文書1-5】慶応3年11月

坂本龍馬が示したとされる維新後新政府設立のための政治綱領。土佐藩船中で、後藤象二郎と相談し、時局救済の8箇条を作成、これをもとに起草されたもの。山口県の長府博物館にも別本がある。

〔議題草案〕

【西周関係文書79】〔慶応3年11月〕

幕府の政体改革に関する意見書。私擬憲法案である「別紙」を伴う。

別紙 議題草案

【西周関係文書80】〔慶応3年11月〕

徳川家を中心とし、三権分立を取り入れた西周による政体の構想書。最も早い時期の憲法草案の一つ。

都風流トコトンヤレぶし

【品川弥二郎関係文書(その1)書類の部1688】〔明治元年頃〕

徳川幕府追討にあたって長州藩士品川弥二郎は、官軍のための歌の作詞をしたという。「宮さん宮さん」の歌詞が有名なもの。

〔行政官より徳川民部大輔(沙汰)及清水谷侍従へ(達)〕

【清水谷公考関係文書34-3】〔明治元年〕12月

箱館に拠った榎本武揚ら旧幕府軍を追討するよう、明治新政府がパリから帰国した徳川昭武に出した命令書。結局新政府軍が出動し、昭武は一部の兵を参加させるに止まった。

南洲翁書抄語帖他

【川上直之助関係文書24~27】

西郷隆盛が奄美大島に潜居していた時の、自筆の手習い用手本等。松方正義・東郷平八郎・小牧昌業の識語がある。

坂本龍馬書簡 陸奥宗光宛

【陸奥宗光関係文書51-13】慶応3年11月7日

暗殺直前、坂本龍馬が陸奥宗光に宛てた手紙とされる。

開国起源 陸軍歴史 海軍歴史(浄書稿本)

【勝海舟関係文書1、2、4】

幕末・維新期を動かした中心人物の一人であった勝は、維新後、幕末期の政治、外交の動きや、軍制の改革についての歴史を詳述した。これは成稿ののち浄書して家に留めたもの。刊本と異同が見られる。

交遊手巻 甲

【樺山資紀関係文書(その1)184】

現物は縦77センチにも及ぶ大型の巻物。樺山宛書簡が3段にわたって張り込まれている。装丁も美しい。

幕末・維新期 - 開国

〔日米和親条約写〕

【三条家文書書類の部3-49】安政元年12月

鎖国を破った最初の条約。安政元年締結。これにより下田・箱館を開港。

〔日露和親条約写〕

【三条家文書書類の部3-50】安政元年12月21日

日米和親条約に引き続き締結。下田・箱館のほかに長崎も開港。

明治期

戸籍法原稿

【杉浦譲関係文書152】明治3年

民部省地理司は地租、戸籍、土地台帳の事務をつかさどっていたが、その長にあった杉浦は、翌年制定される「戸籍法」の原稿を執筆した。

座右日記

【杉浦譲関係文書157】明治5年

太政官正院に奉職していた時代の日記。杉浦はまた、日本の郵便制度の創始者の一人でもある。

伊藤博文意見書

【井上馨関係文書308-1】明治4年8月2日

井上馨宛の書簡は、発信者毎に巻子本に仕立てられたものが多い。これは、大蔵少輔だった伊藤博文が参議大隈重信等に宛てて、大蔵省改革を非として出した意見書。

松方正義書簡 井上馨宛

【井上馨関係文書393-6】〔明治13年〕8月8日

山県有朋、三条実美(条公)とのやりとりを記す。

〔大隈重信の上奏文(写)〕

【伊藤博文関係文書(その1)書簡の部502】明治14年3月

参議大隈重信が英国式議院内閣制を骨子として天皇に提出した憲法意見書を伊藤が書写したもの。大隈下野を招いた明治14年政変の一因となった。

〔立憲政体調査ニツキ特派理事欧州派遣ノ勅書〕

【伊藤博文関係文書(その1)書類の部209-1】明治15年3月3日

欽定憲法制定のため、欧州各国の憲法を調査するよう参議伊藤博文に下された勅書。

衆議院議員之証 和歌山県陸奥宗光

【陸奥宗光関係文書108-66】明治23年7月12日

明治23年に実施された第1回衆議院総選挙での陸奥の当選証書。農商務大臣の任にありながら出馬。

国会議員双六

【憲政資料室収集文書1238】明治25年12月6日(出版)

保守、改進、自由、中立の4党に分かれ、中央議事堂を目指すという趣向。

蹇々余録草稿綴 下

【陸奥宗光関係文書66-3】明治28年序

明治期の外交を担った陸奥は、晩年、日清戦争から三国干渉に至る経緯を執筆した。陸奥文書にはその草稿や英訳草稿も入っている。

錦絵(国会議事堂)

【憲政資料室収集文書1298】明治28年5月

明治28年にあったのは日比谷の第2次仮議事堂。

西園寺公望書簡 野村靖宛

【野村靖関係文書2-37】明治28年7月18日

野村靖文書には折本仕立ての書簡集が数冊あるが、その内のもの。野村は当時、第2次伊藤内閣の内務大臣。

安重根伝記及論説

【七条清美関係文書79-1】〔明治43年〕

安重根は、伊藤博文狙撃後の獄中で自叙伝「安応七歴史」と、「東洋平和論」を執筆した。後者は未完に終わる。

明治期 - 自由民権運動

〔愛国公党本誓(草案)〕、〔愛国公党副誓(草案)〕

【古沢滋関係文書20、22】〔明治7年1月〕

征韓論に敗れて下野した板垣退助、後藤象二郎、江藤新平らは自由民権結社として明治7年愛国公党を結成する。議会開設要求を行うが、江藤の佐賀の乱とともに崩壊した。

〔民撰議院設立建白草稿(三種)〕

【古沢滋関係文書13】〔明治7年1月〕

愛国公党によった板垣退助、江藤新平らが明治7年1月、左院に提出したものの草稿。

〔大阪会議申合草案〕

【古沢滋関係文書26】〔明治8年1月~2月頃〕

征韓論で政府が分裂して以来対立していた大久保利通と板垣退助・木戸孝允の間を伊藤博文・井上馨が斡旋し、明治8年2月に大阪で三者会談が開かれた。ここで、漸次立憲政体に移行することで妥協が成立した。

立志社建白写

【三条家文書書類の部42-2】明治10年6月

最も早い民間結社である土佐の立志社は、京都行在所にあった天皇に民撰議院設立建白書を提出する。これは却下されたが、その後全国に自由民権運動が活発に展開することになる。

南遊日誌

【河野広中関係文書書類の部31】明治12年8月~12月

河野広中が、高知訪問と大阪で開催された愛国社第3回大会出席の模様を綴った日記。

国会ヲ開設スル允可ヲ上願スル書

【河野広中関係文書書類の部168】明治13年4月

明治13年3月、愛国社第4回大会で国会期成同盟が結成され、河野と片岡健吉が要望書の提出委員となった。太政官、元老院に提出されたが拒絶された。

国会ヲ開設スル允可ヲ上願スル書(副願)

【河野広中関係文書書類の部169】明治13年4月

東洋大日本国々憲案

【牧野伸顕関係文書書類の部89】明治14年8月

立志社の植木枝盛起草に係る全220条からなる憲法案。人民の自由権利の保障や、抵抗権、革命権を認める一方、皇帝の大権も強調されている。

自由党盟約

【樺山資紀関係文書(その1)書類の部54】明治14年10月

国会開設、憲法欽定の方針が出される中、民権派は板垣退助を総理として自由党を結成する。

自由党会員名簿

【樺山資紀関係文書(その1)書類の部55】明治14年10月

自由民権運動家が集まって出来た自由党発足時の名簿。101名が結集。

大阪事件獄中書簡(大井憲太郎書簡 龍野周一郎宛)

【龍野周一郎関係文書158-18-①】明治19年9月7日

旧自由党左派が起こした大阪事件で逮捕、投獄された者の獄中からの書簡56通が、旧自由党員龍野周一郎の文書に納められている。

自明治二〇年五月至明治二一年一月高知県民情一班

【三島通庸関係文書書類の部540-22】明治21年5月

高知の自由民権派の動向を詳細に報告。当時三島は警視総監。

明治期 - 明治憲法

ロエスレル氏起案日本帝国憲法草案

【伊東巳代治関係文書書類の部2】明治20年4月

ドイツ人の内閣法律顧問ロエスレルが伊藤博文の委嘱により起草したもので、夏島草案起草の参考となった。

夏島草案

【伊東巳代治関係文書書類の部8, 9】明治20年8月

欧州の憲法調査から帰った伊藤博文を中心に、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らが集まり憲法を起草。神奈川県夏島での討議を経て出来たのが本草案。

〔大日本帝国憲法浄写三月案〕

【伊藤博文関係文書(その1)書類の部233】明治21年3月

伊藤博文が枢密院での憲法制定審議の際携行したものと思われる。伊藤の書き入れがある。

〔帝国憲法枢密院諮詢案・説明 全七六条〕

【三条家文書書類の部37-2】明治21年5月

明治21年4月に設置された枢密院は、先ず帝国憲法制定に向けて審議を開始する。

明治期 - 政党内閣の動き

伊藤、大隈、板垣会見録

【伊東巳代治関係文書書類の部350】明治31年6月25日

政党組織に関する意見対立から首相を辞す決意を固めた伊藤博文は、憲政党の大隈、板垣を後継とすべく、両者と会談。これにより最初の政党内閣である隈板内閣の成立を迎える。

板垣退助上奏文案

【伊東巳代治関係文書書類の部351】明治31年10月27日

文部大臣交替を契機に大隈、板垣の関係が決裂し、板垣は辞表を呈す。最初の政党内閣であった隈板内閣が崩壊することになる。

立憲政友会会則草案

【伊東巳代治関係文書書類の部353-3】明治33年

伊藤博文は、政党を組織するに当たっては、参加しやすいように倶楽部のようなものを考えていたが、伊東巳代治や星亨の作ったこの案では本部、支部の外部に倶楽部が置かれている。

大正期

原敬書牘 巻六.原敬書簡 井上馨宛

【井上馨関係文書246-4】大正3年6月18日

西園寺の辞任に伴って、第3代政友会総裁に就任した原敬が井上馨に出した挨拶状。

田健治郎日記

【田健治郎関係文書24】大正7年8月13日

大正7年、富山県で起こった米価高騰に対する事件は、たちまち「米騒動」として全国に広まり、各所で暴動が起こった。これにより寺内正毅内閣は退陣せざるをえなくなった。

〔孫秉煕・李昇薫通告文写〕

【寺内正毅関係文書書類の部439-39】大正8年3月1日

朝鮮独立を掲げた三・一運動の日本宛通告文の写し。

地震人震記

【小川平吉関係文書911】大正12年

立憲政友会幹部の小川平吉による関東大震災前後の日記。山本権兵衛内閣成立の経緯が記されている。

清浦内閣成立ノ顛末

【水野錬太郎関係文書(寄託)53】大正13年1月

第2次山本権兵衛内閣が摂政宮狙撃事件で引責辞任したのち、貴族院を基盤とする清浦内閣が成立した。しかし特権内閣であると批判され、第2次護憲運動が起こった。

大正期 - 大正政変

時局に関する来電(寺内正毅宛田中義一電報)

【寺内正毅関係文書440-2】

第2次西園寺内閣総辞職から第3次桂内閣成立までの状況を朝鮮総督であった寺内正毅に対し田中義一が刻々と伝えている。大正政変前夜の様子がよくわかる。

本山彦一書簡 後藤新平宛

【桂太郎関係文書(所蔵)6-24】大正元年12月24日

第3次桂内閣成立にあたっては広く国民各層からの反発を招き、大衆が政治の表舞台に出てくることになった。大阪毎日新聞社長の本山は入閣した後藤にあててその模様を述べている。

立憲同志会綱領並政策案

【河野広中関係文書書類の部547】大正2年2月24日

憲政擁護運動で苦境に立った第3次桂内閣は、打開のため新党結成に踏み切る。大正2年1月にはその覚書を発表するが、内閣総辞職、桂の急逝で延期、12月に立憲同志会として発足した。

大正期 - 普選運動

選挙法改正参考書(大正8年)、普通選挙関係綴込

【小橋一太関係文書217-1、2】大正8年

明治中期に始まった普通選挙を求める動きは大正期になると幅広い運動に発展する。普通選挙法として結実するのは大正14年であるが、大正7年の米騒動を期に大衆化し、制度改革への動きを加速する。

三派普選委員会決定案

【小川平吉関係文書792】大正13年

清浦内閣に反発した政党各派は第2次護憲運動を展開するが、その政策の重点の一つが普通選挙の実現であった。護憲三派が作ったこの案が普通選挙法案につながっていく。

昭和(戦前)

日傭労働者の日記

【大野緑一郎関係文書353】昭和3年3月

東京市社会局が昭和2年10月に簡易宿泊所利用者を対象に実施した調査の記録。利用者が書いた「今日の感想」を編集。恐慌時代の労働者の生の声が聞かれる。

浜口雄幸日記

【浜口雄幸関係文書2】昭和4年

田中義一政友会内閣倒壊後組閣した民政党浜口雄幸の日記。7月2日は組閣の日。

随感随録

【浜口雄幸関係文書5】昭和5年11月14日

浜口雄幸首相の手記。この日、東京駅頭で撃たれた浜口首相が「男子の本懐」との声を発したという、よく知られている場面。

五・一五事件被疑者検挙一覧表

【木内曽益関係文書44】

木内は、血盟団事件や五・一五事件に民間側主任検事として関与。

西園寺公望覚書

【原田熊雄関係文書18】〔昭和7年5月19日〕

五・一五事件で犬養毅首相がテロに倒れ、その後継内閣に関する天皇の希望を元老西園寺が書き残した。西園寺の奏請により、斎藤実に組閣の大命が下った。

粛軍ニ関スル意見書

【憲政資料室収集文書1201】昭和10年7月11日

後に二・二六事件を起こすことになる村中孝次らが著したもので、体制批判を目的に流布されたいわゆる「怪文書」の中でも最もよく知られているもの。

帝国議会議事堂竣功祝賀会演奏曲目表・献立表

【松本学関係文書350】昭和11年11月7日

現議事堂は昭和11年11月7日に竣功。その時の祝賀会で使用されたものである。

〔大命拝辞の上奏(控)〕

【宇垣一成関係文書書類の部150】〔昭和12年〕1月29日

広田弘毅内閣のあとに宇垣一成に組閣の大命が降下したが、陸軍が大臣を出さず、拝辞に追い込まれた。軍部の政治介入の顕著な例。

有馬頼寧日記

【有馬頼寧関係文書(その1)98-9】昭和15年10月11日

戦時下の官製国民運動団体であった大政翼賛会発足前日10月11日の条。有馬は事務総長。

〔米軍投下ビラ〕

【憲政資料室収集文書1235】〔昭和20年7月、8月〕

太平洋戦争中にアメリカ軍が日本に投下したビラ。

昭和(戦後)

新日本自由党結成準備記録

【安藤正純関係文書12】昭和20年8月23日

戦後、軍部に批判的だった旧同交会系の政治家が新党結成を企画。安藤はその推進者の1人。これを受け、昭和20年11月9日に日本自由党が成立。

日本社会党綱領・政策・党則

【浅沼稲次郎関係文書(その1)420】昭和20年11月2日

戦後まもなく安部磯雄、高野岩三郎、賀川豊彦の呼びかけで懇談会が開かれ、社会主義政党結成の準備が進められた。11月2日には日比谷公会堂で結党大会が行われた。

昭和(戦後) - 昭和憲法

Constitution of Japan(マッカーサー草案)

【佐藤達夫関係文書31】昭和21年2月13日

日本側が提示した憲法改正草案に不満を持ったGHQ/SCAPが提示した案。これをもとに日本案作成が始まる。

日本国憲法

【佐藤達夫関係文書33】昭和21年2月13日

2月13日にGHQ/SCAPの憲法改正案が提示されると、直ちに外務省により仮訳が作成された。これに若干の訂正を加えたものが、26日の閣議で配布説明された。

日本国憲法(官報号外)

【入江俊郎関係文書46】昭和21年11月3日

法制局次長から長官として、日本国憲法制定の中心にあった入江俊郎文書中のこの官報には吉田茂、金森徳次郎、芦田均等関係者の署名がある。

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