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第1章 立憲国家への始動

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a. 維新前後の政体構想

1-1 開国―近代の幕開け

ペリー渡来絵図貼交屏風 東京大学史料編纂所所蔵
ペリー渡来絵図貼交屏風 東京大学史料編纂所所蔵

嘉永6年6月3日(1853年7月8日)、ペリー(Matthew Calbraith Perry)の率いる米国東インド艦隊は浦賀沖に投錨し、日米間の友好と商業的交通に関する国書の授受を申し入れた。老中阿部正弘は国書および関係書翰の和文訳を作成して諸侯に示し、これに対する意見を募った。翌年2月(1854年3月)、ふたたび来航したペリーと林復斎(大学頭)をはじめとする幕府代表とは、横浜村で会談を開始した。数度にわたる交渉の結果、永世不朽の和親、下田・箱館の開港、薪水の給与、領事官駐在の容認などを規定する日米和親条約(全12ヶ条)が調印され、さらに5月には日米和親条約附録(全13ヶ条)が取り決められた。日米和親条約は安政2年正月5日(1855年2月21日)の批准書交換を経て発効し、日本の鎖国政策は終わりを迎えた。

「合衆国書翰和解」には、フィルモア大統領(Millard Fillmore)の国書をはじめとする計5通分の漢文書翰写と、その和文訳が収録されている。「日米和親条約写」は、日本側が作成した条約批准書の写しであるが、本来批准の必要のない条約附録についても批准書が作成されており、このことは『ペルリ提督日本遠征記』においても言及されている。

合衆国書翰和解

[日米和親条約写]

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