ディジタル貴重書展

洋書の部

第2章 西洋人の日本発見

 コロンブスの新大陸発見以後、西洋人の世界観は一変しました。彼ら探検家の航海記録はいち早く出版されるのが常であり、それに刺激された地図製作者は次々と世界地図を改訂しました。プトレマイオスの『コスモグラフィア』に縛られていた中世以来の世界図に、早くも1507年、ヴァルトゼーミューラーはアメリカ大陸を描き加えていますが、その地図はまだ中世的なものに留まっていました。 世界地図が近代的なものとなったのは、オルテリウスの『世界の舞台』(1570)が刊行されてからのことです。彼の地図帳は非常に多くの版を重ねましたが、アジア(特に極東)に関する情報が不足していました。16世紀以降、多くの西洋人がある者は布教の為、ある者は通商の為、ある者は知識の為、東洋を訪れています。彼らは多数のオリエンタリア(東洋関係資料)を出版し、時には印刷機を持ち込むことまでしています。

ノールト『世界周航記』

Noort, Olivier van, 1558-1627.
Beschryvinghe vande uoyagie om den geheelen Werelt Cloot.
Rotterdam: I. van Waesberghen, [n.d.]. 1 v. f° 【WA41-55】

本書はマゼラン、ドレーク、カヴェンデッシュに続いて、オランダの航海家ノールトが成し遂げた史上4番目の世界周航(1598.9-1601.8)の記録である。この航海に関しては、帰国からわずか18日後に『航海日誌抄』(Extract oft kort verhael wt het groote iournael)が出版されている。
本書を含めて刊年表記のない『世界周航記』が1602年以前に2種類刊行されており、展示本は、刊年が1602年と明示されるようになった版と図版のキャプションが同系統であることから、その内の後版と考えられる。また、その図版に含まれた日本人図は、西洋にもたらされた最も古いもののひとつである。

オレアリウス『ロシア・ペルシャ紀行』

Olearius, Adam, 1603-1671.
The voyages & travels of the ambassadors sent by Frederick Duke of Holstein, to the Great Duke of Moscovy, and the King of Persia ... ; whereto are added The travels of John Albert de Mandelslo...into the East-Indies...
London: T. Dring, and J. Starkey, 1662. 2 v. in 1. f° 【WA41-38】

ペルシャ文学の紹介者としてドイツ文学史に名を残すオレアリウスは、絹交易路開拓のためにホルシュタイン公によって派遣された使節に参加し、1633年ロシアとペルシャへ赴いた。この旅行記はその記録であるが、さらにセイロンまで旅を続け、帰国後病没したマンデルスロ(1616-44)が集めた情報と見聞が付されている。1645年にドイツで最初の版が刊行され、以後次々と改訂が加えられていった。
本書はジョン・デイヴィス(1625-93)により仏訳版から重訳された最初の英訳版である。マンデルスロは、旅の途上で得た日本を含む東アジア各国の情勢についても記録している。

タヴェルニエ『トルコ・ペルシャ・東インド紀行』

Tavernier, Jean Baptiste, 1605-1689.
Collections of travels through Turky into Persia, and the East-Indies.
London: M. Pitt, 1684. 2 v. in 1. f° 【WA42-6】

タヴェルニエはパリの地図製作者の家に生まれた旅行家。1677-78年、彼自身の体験をまとめた『六つの旅』(Les six voyages...)をパリで刊行した。これは大きな成功を収め、版を重ねるとともにイギリスを含む各国で翻訳出版される。1679年には同書の拾遺ともいうべき『著作集』(Recueil de plusieurs relations et traitez...)が出版され、こちらも翌年にはエドマンド・エヴァラード(fl. 1679-81)の手により英語に抄訳されている。1684年に上記2冊の再編集本が2種類刊行され、そのうちの一つが本書である。前出『ロシア・ペルシャア紀行』同様に、旅の途上で収集した東アジアの情報をまとめており、日本についても一章を割いている。

ニューホフ『オランダ東インド会社派遣使節中国紀行』

Nieuhof, Johannes, 1618-1672.
Het gezantschap der Neêrlandtsche Oost-Indische Compagnie, aan den grooten Tartarischen Cham, den tegenwoordigen keizer van China ...
Amsterdam: J. van Meurs, 1670. 1 v. f° 【WA41-54】

これらは、1655年から57年にかけてオランダ東インド会社が清国へ派遣した使節の旅の記録で、そのオランダ語版(初版は1665年刊)および仏訳版、英訳版である。ニューホフは1653年バタビアに東インド会社員として赴任、この使節団には書記として随行した。彼はその行程のみならず、政治、言語、学術等についても記述することで、本書を体系的な中国地誌とした。口絵として、オランダ語版では著者の肖像が掲げられているのに対し、カルパンティエによる仏訳版では時の宰相コルベールの、そして英訳版では翻訳者ジョン・オーグルビー(1600-76)の肖像が載せられている。
没後に出版された『東西海陸紀行』(Gedenkwaerdige zee en lantreize door de voornaemste landschappen van West en Oostindien. 1682)も含め、ニューホフの著作は江戸時代に舶載され、蘭学者に利用されている。『東西海陸紀行』に関しては山村才助(1770-1807)による抄訳写本も伝存する。また『オランダ東インド会社派遣使節中国紀行』も『奉使支那行程記』として抄訳されたが、訳稿は失われている。

『天正遣欧使節グレゴリウス13世謁見記』

Iaponiorvm regvm legatio, Romæ coram summo Pontifice, Gregorio XIII. 23. Martij, habita, anno 1585.
Romae: F. Zannetum, 1585. 1 v. 4° 【WA41-56】

本書は宣教師ヴァリニャーニの勧めによってローマに派遣された4人の少年使節が、教皇グレゴリウス13世に謁見した際の記録である。キリシタン大名の書状のラテン語訳、謁見の際イエズス会士ゴンサルヴェスが行った口演、ボッカパドゥリが教皇の代理で答えた口演が含まれ、さらにオルテリウスの『世界の舞台』(Theatrum orbis terrarum. 1570)の東インド図の解説から日本に関する部分が再録されている。本書と同様の小冊子が、使節が立ち寄った都市で次々に出版されている。使節は、ヴァリニャーニの切望していた活版印刷機を入手し(1586)、天正18年(1590)に帰国。その印刷機で『ドチリーナ・キリシタン』(1592)など「キリシタン版」と呼ばれる多くの印刷物が刊行された。

ケンペル『日本誌』

Kaempfer, Engelbert, 1651-1716.
The history of Japan ... written in High Dutch by E. Kaempfer ...
London: T. Woodward, 1728. 2 v. f° 【WB31-20】

北ドイツのレムゴー出身のケンペルは、オランダ東インド会社の医師として1690年に来日、オランダ商館長の江戸参府に随行するなど当時の日本を見聞し資料を収集した。帰郷後、医師としての本業の合間に日本研究を続けたが、生前に出版されたのは『廻国奇観』(Amoenitatum exoticarum politico-physico-medicarum ... 1712)のみである。没後、収集資料や原稿の大部分はイギリスのスローン卿(1660-1753)の手に渡り、大英博物館に引き継がれた。『日本誌』の独語原稿は、スローン卿の秘書ショイヒツェル(1702-29)により英訳され、1727年にロンドンで予約出版の形で刊行された。翌年に、新しい標題紙をつけ、若干手直しして刊行されたのが本書である。
当館では英訳版(1728)、仏訳版(1729)、蘭訳版(1729,1733)、独語版(1777-79)を所蔵している。

オヤングレン『日本文典』

Oyanguren de Santa Inés, Melchor, 1688-1742.
Arte de la lengua japona.
México: J. B. de Hogal, 1738. 1 v. 4° 【WB26-1】

キリスト教布教を目的として書かれた日本語文法解説書。著者オヤングレンは、当時イスパニア副王領だったメキシコ経由でフィリピンへ派遣されたフランシスコ派のスペイン人宣教師。1724-36年、フィリピン滞在中に日本語を学習し始め、その後メキシコで聖アウグスチン院長を務めていたとき本書を出版した。彼自身は来日したことはなく、主に先人のロドリゲス(1561?-1634)やコリャド(d.1638)の文典などをもとに執筆した。亀田次郎旧蔵。

マルチネット『格致問答』

Martinet, Joannes Florentius, 1729-1795.
Katechismus der natuur ...
Amsterdam: Wed. Loveringh en Allart, 1778-79. 4 v. 8° 【WB29-34】

天体、大気、地上、海洋、動物、昆虫、植物などについて問(V)と答(A)の対話形式で書かれた教科書。展示本は第1巻のみ第2刷。第4巻には著者の銅版画肖像がある。
1784年, ロッテルダムで発行された新聞に、朽木昌綱が本書の翻訳を行っているとの記載があり、本書は刊行されるといち早く日本にもたらされたことがわかる。司馬江漢や小野蘭山らも参照しており、吉雄常三も『遠西観象図説』(文政6年(1823)刊)で本書を利用している。土井利位はその著『雪華図説』(天保3年(1832)刊)の中で雪の結晶の図版をほぼそのまま使用している。

オスカンプ等編『薬用植物図譜』

Oskamp, Dieterich Leonard, b. 1768, ed.
Afbeeldingen der artseny-gewassen ...
Amsterdam: J. C. Seep en zoon, 1796-1800. 6 v. 4° 【WB29-35】

ニュールンベルクで出版されたツォルン著Icones plantarum medicinalium (1784-90)をオスカンプ、ホッタイン、クラウス等が編集し直し、出版したもの。図版はほとんどをIcones...からとっている。各巻100枚の手彩色銅版画と、オランダ語植物名・ラテン語学名、形状や有用性についての解説から成っている。
日本へは天保年間(1830-43)には舶載されており、伊藤圭介ら本草学者に利用された。図の模写も多数作られ、『和蘭六百薬品図』はその例である。飯沼慾斎は本書の写本を所蔵しており、その著『草木図説』では「阿須氏」としてしばしば引用している。

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