ディジタル貴重書展

和漢書の部

第1章 書物の歴史を辿って

本章では当館所蔵貴重書で、奈良から江戸時代まで、各時代を代表する書誌学上の重要資料であるとともに、美術的名品でもある書物の数々をとりあげながら、その歴史を辿ります。順番は、古写経と古刊経、中国と朝鮮の書物、古写本、古刊本、古活字版、絵本・絵巻など、となっています。

古写経と古刊経

日本の書物の始まりは仏教文化と密接に関わっています。わが国に現存する最古の写本は聖徳太子(573-621)自筆と伝えられる『法華義疏』(宮内庁蔵)であり、現存最古の印刷物は奈良時代の「百万塔陀羅尼」です。古い時代の書物の装訂である粘葉装の最古の遺品は仁和寺で所蔵する密教経典類の写本、平安時代の『三十帖冊子』といわれています。平安時代末から鎌倉時代を代表する出版物の春日版や高野版は、興福寺や金剛峯寺で出版された仏教典籍類です。今日に遺る仏教典籍の中には、文字、料紙、装訂、印刷等において優れたもの、貴重なものが数多くあります。ここでは当館所蔵の奈良時代から南北朝時代にわたる各時代の写経、刊経等のなかから、書誌学上重要な遺例であるとともに美しく、資料的価値の高いものを9点展示いたします。

集一切福徳三昧経

「集一切福徳三昧経(じゅういっさいふくとくざんまいきょう)」 巻2 天平12(740)写 1軸 縦26.5cm 【WA2-1】

光明皇后御願経。光明皇后(701-760)が亡き両親、藤原不比等、橘三千代の追福のために発願した一切経で、奥書に「天平十二年五月一日記」の日付けがあることから、「五月一日経」とも呼ばれている。写経生によって書かれた唐風の美しい楷書で、奈良時代写経中の優品とされる。展示本には文字を消磨して書き改めた部分や、朱筆で校合、書入した箇所が見られる。料紙は麻紙。表紙、軸は後代の補修。表紙と本文との継ぎ目紙背に「東大寺印」の方形朱印が押捺されている。

〔百万塔陀羅尼〕

「〔百万塔陀羅尼〕(ひゃくまんとうだらに)」 神護景雲4(770)刊 3葉3基 自心印5.7×46.5cm 相輪5.5×39.7cm 根本5.5×55.0cm 小塔高さ21.4cm 【WA3-1】

制作年代が明確な世界最古の印刷物。奈良時代の女帝、称徳天皇(718-770)の発願により作られた。延命、除災のための経典である無垢浄光陀羅尼経に説かれる根本陀羅尼、相輪陀羅尼、自心印陀羅尼、六度陀羅尼の四種の陀羅尼を印刷し、それぞれを百万基の小塔に納め法隆寺をはじめとする十大寺に分奉したといわれるが、今日残るのは法隆寺に伝来したものだけである。当館では根本陀羅尼、相輪陀羅尼、自心印陀羅尼と小塔を所蔵する。三重の小塔はろくろ挽きで、用材は塔身が檜、九輪は桂、桜など。塔の表面には白土が塗ってあったといわれる。経文の印刷方法については銅版説、木版説などあり、いまだ判明していない。

毘沙門天画像

「毘沙門天画像(びしゃもんてんがぞう)」 〔平安末期〕刊 1軸 42.6cm 本紙36.8×30.5cm 【WA4-2】

摺仏または印仏と呼称される仏教版画。平安時代後期、興福寺の末寺として繁栄した大和中川寺に伝来した木造毘沙門天立像の胎内に納められていたもので、右手に剣、左掌に宝塔を載せ、岩座に立つ高さ約17㎝の毘沙門天像が上段に4体、下段に3体捺印されている。紙背に応保2年(1162)の識語がある。現存する仏教版画のうち制作時期が推定できる最古の作例で、平安時代、鎌倉時代における出版文化研究の重要な資料のひとつである。

大慈恩寺三蔵法師伝

「大慈恩寺三蔵法師伝(だいじおんじさんぞうほうしでん)」 巻3 (唐)慧立編、彦悰続編 天治3(1126)写 1軸 縦24.7cm 【WA15-12】

三蔵法師として有名な唐の玄奘(602-664)の伝記で全10巻よりなる。法隆寺伝来本巻1,3,7,9のうち、巻3が展示本である。巻1,7,9は、現在法隆寺が所蔵(重要文化財)する。延久3年(1071)書写の興福寺本(重要文化財)を、大治元年(1126)法隆寺の僧覚印が転写したもので、興福寺本に次ぐ古写本として貴重である。朱筆の仮名とヲコト点は、国語学上の重要な研究資料となっている。根岸武香旧蔵本。

鞞摩肅経

「鞞摩肅経(びましょうきょう)」 1巻 劉宋求那跋陀羅訳 〔平安末期〕写 1軸 縦25.7cm 【WA2-31】

巻首内題下に「神護寺」の朱方印があり「神護寺経」と通称されるものの1巻である。神護寺経は平安時代後期を代表する紺紙金字一切経で、紺色の料紙に金泥で経文を書写する。書写年代は付属の経帙に久安5年(1149)の墨書があることから、平安時代末と推定されている。鳥羽院の発願により後白河院が神護寺に寄進したと伝えられ、全部で5,400巻余あったが、現在神護寺に残るのは2,317巻、その他は民間に流出した。展示本は和様の書風。界線は銀。表紙は宝相華唐草模様、見返しは釈迦説法図。軸は撥型鍍金魚子地四弁花文。経名の「鞞摩肅経」は「鞞摩肅経」という人物を相手に説法していることより題されている。

妙法蓮華経

「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)」 8巻 〔鎌倉末期〕刊 8軸 縦24.8cm 【WA3-18】

鎌倉の覚園寺第二世大灯源智律師の消息(手紙)の裏に、宛名の「大の御かた(北条貞時室)」等が妙法蓮華経を刷った消息経。制作年代は明確ではないが、覚園寺にある源智の供養塔に正慶元年(1332)の造立銘があること、版式などから鎌倉時代末頃と推定される。表紙と見返しおよび本文は、金銀切箔、野毛、砂子散らし。紙背には雲形模様の装飾が施される。軸頭に六角水晶を用いた美しい装飾経の遺品。また、紙背の消息124通は鎌倉時代の貴重な資料となっている。

〔足利尊氏願経〕

「〔足利尊氏願経〕(あしかがたかうじがんぎょう)」 文和3(1354)写 5帖 26.9×9.9cm 【WA2-12】

足利尊氏発願の一切経。尊氏(1305-58)は、後醍醐天皇や両親および元弘の乱(1331-32)以後の戦没者の供養と天下太平を祈願し、京都、鎌倉などの諸寺院の僧に一切経5千余巻の経文を書写させ等持院に奉納した。各帖巻末には木版刷りの発願文、年紀、位署がある。位署のなかの「尊氏」の二字は自筆といわれる。尊氏の願経はのちに園城寺(三井寺)に移納され現在、同寺院に592帖(重要文化財)が伝存、その他は流出した。当館所蔵本は補修改装が施されている。展示箇所は『大般若波羅蜜多経巻第114』の巻末。

成唯識論

「成唯識論(じょうゆいしきろん)」 10巻 護法〔等〕造 (唐)玄奘訳 〔鎌倉末期-南北朝〕刊 10軸 縦29.0㎝ 【WA3-11】

春日版。平安時代末から江戸時代にかけて、奈良の興福寺で出版された仏書を春日版と呼んでいる。唯識、法相関係のものが中心であるが、大般若経、法華経等も印刷された。展示本は小型ながら写経風の美しい文字と漆黒の墨色で、鎌倉時代末から南北朝頃の刊行と推定される。全巻に朱点が施されている。料紙は斐紙。一部補修改装。『成唯識論』は世親の『唯識三十頌』に注釈を加えたもので唐の玄奘が訳出、法相宗の重要な経典である。

〔新請来経等目録〕

「〔新請来経等目録〕(しんしょうらいきょうとうもくろく)」 空海編 建治3(1277)刊 1冊 23.8×15.5cm 【WA6-74】

高野版。鎌倉時代以降、京都、奈良の出版事業の影響を受け、高野山で出版された仏書を高野版という。空海の著書を中心とした真言密教の典籍が主である。本書は、空海が大同元年(806)、唐から帰朝の際に持ち帰った書物の目録を嵯峨天皇に奏進したいわゆる『御請来目録』を刊行したもので、わが国における書目出版のはじめといわれる。展示本は、巻末に「建治三年丁丑七月廿八日於金剛峯寺信藝書」と刻されている。巻首から3丁を欠く。両面刷り。粘葉装。表紙は後代のもの。

中国と朝鮮の書物

古来、わが国は中国や朝鮮から多くの書物を輸入、書写し、その文化を学んできました。舶載された書物は室町時代以降になると、それまでの仏教典籍に加えて儒教の経典や禅僧の詩文集、さらには医書などの実用書にまで及びました。とりわけ宋や元、明代の出版物は、五山版などの出版に大きな影響を与えました。

姓解

「姓解(せいかい)」 3巻 (宋)邵思編 〔景祐年間(1034-38)〕刊 3冊 28.2×17.2cm 重要文化財 【WA1-3】

伝本稀な北宋刊本の中の一つで、中国にも所在を見ない孤本。宋版特有の端正な字様である。中国古来の姓氏2,568氏を字体により170部門に分け配列し、姓の起源、著名人、掲載書をあげ発音を記す字書。本書では、北宋歴代皇帝の諱にあたる「敬」「殷」などの文字が末筆を省略欠筆)して刻されている。これらの文字と、景祐2年(1035)の邵思自序から刊年が推定されている。宋から高麗王府を経てわが国に舶載されたもの。「経筵」「高麗国十四葉辛巳歳蔵書大宋建中靖国元年大遼乾統元年」「寶宋閣珍賞」「養安」「養安院蔵書」(曲直瀬正琳)「向黄邨珍蔵印」(向山黄村)の印記。向山黄村寄贈本。昭和60年補修。

大唐西域記

「大唐西域記(だいとうせいいきき)」 巻1-8 (唐)玄奘訳 (唐)弁機撰 〔南宋〕刊 8帖 28.8×11.3cm 【WA35-1】

思溪版大蔵経の内。思渓版大蔵経は南宋紹興2年(1132)から浙江省湖州思溪の圓覚禅院で、王永従一族の発願で開版された大蔵経。日本にはかなりの数が舶載され、江戸時代開版の天海版一切経の底本となったともいわれる。『大唐西域記』は唐の僧玄奘三蔵が貞観3年(629)長安を発し、同19年(645)の帰国までに遊歴した西域、インドの仏教遺跡、風俗、生活などを記録したものである。中国明代の小説『西遊記』や、わが国の『今昔物語』の天竺説話などに影響が見られる。近世には一切経以外に単独でも刊行されている。帖装。各巻末に歌人、仏教信仰人でもあった鎌倉幕府の御家人、藤原時朝(1203-65)が建長7年(1255)鹿島社に奉献した旨の識語がある。

礼記註 春秋経伝集解

「礼記註(らいきちゅう)」 巻1-8, 16-20 (漢)鄭玄注 (唐)陸徳明釈文 〔建安〕 〔南宋〕刊 19冊 10.8×7.2cm 【WA35-11】
「春秋経伝集解(しゅんじゅうけいでんしゅうかい)」 30巻 (晋)杜預撰 (唐)陸徳明釈文 〔建安〕 〔南宋〕刊 15冊 11.0×7.2cm 【WA35-12】

二書は南宋期の中国の出版活動の中心の一つであった福建建寧府建安(現在の福建省建寧市)で刊行された巾箱本。小ぎれ入れの箱くらいの小型本。同一の版式で字画繊細彫刀精整な小文字を刻した佳品。他に同版の伝存はないようである。縹色の表紙は後補、裏打ち改装。江戸初を下らぬ朱筆句点、ヲコト点、返り点、送り仮名、声点が付され、音義訓注の書入がある。儒家の経典である礼記、春秋経の注釈書である。『春秋経伝集解』は、巻19-24補写。蔵書家として著名な近江仁正寺藩主市橋長昭が文化5年(1808)聖堂へ献納した宋元版三十部の一。

山谷黄先生大全詩註

「山谷黄先生大全詩註(さんこくこうせんせいだいぜんしちゅう)」 20巻 (宋)黄庭堅撰 (宋)任淵注 〔建安〕〔元初〕刊 10冊 27.2×17.4cm 【WA35-9】

宋末元初、福建の建安刊本。国内では当館のみ所蔵。本書は、宋代の代表的詩人であり、書家でもあった黄庭堅(1045-1105)の詩の注釈書である。豊かな学識と臨済禅に培われた教養、格調高い詩風は、日本でも室町時代の五山の僧に広く愛好された。版面の字様や「恒」「覯」「慎」等の欠筆から、刊刻地、刊年が推定される。五山版『山谷黄先生大全詩註』の版式と相似する。展示本には朱筆の句点、訓点が付され、余白や付箋には語句の出典についての綿密な書き入れが見られる。「読杜艸堂」(寺田望南)の印記。

新増説文韻府群玉

「新増説文韻府群玉(しんぞうせつぶんいんぷぐんぎょく)」 20巻 (元)陰時夫編 (元)陰中夫注 〔建陽〕 劉氏日新堂 至正16(1356)刊 10冊 26.0×16.8cm 【WA35-25】

『韻府群玉』は作詩者用の韻書と、分類百科辞典ともいうべき類書とを兼用する辞書で、元延祐年間(1314-19)の初版以後、明初まで幾度も改修が加えられている。日本では南北朝時代に翻刻本がある。本書は『韻府群玉』に『説文』を刪節増補したもので、書名の冠称「新増説文」の語や凡例末に刻した刊記で、その新機軸を宣伝している。出版は元至正16年(1356)福建建寧府建陽(現在の福建省建陽市)の書肆日新堂。日新堂の主人劉錦文(字叔簡)は、元代中国で最も出版が盛んであった建陽で多種の書籍を刊行した。展示本は第9、10冊末に「天龍三関寮公用 応永十三年閏六月廿九日周明置之」等の識語がある。破損部分はすべて書写で補われており、よく使用された跡がうかがわれる。

文献通考

「文献通考(ぶんけんつうこう)」 348巻 (宋)馬端臨撰 建陽 劉洪慎独斎 正徳14(1519)刊 80冊 24.2×14.0cm 【WA35-98】

明初、福建建寧府建陽の書肆主劉洪(室号慎独斎)刊本。慎独斎刊本は大部の史書或いは類書で、明代建陽刊本の中で「精校精刻」と評される。『文献通考』は古代から宋代までの諸制度の沿革、変遷を記した一種の百科全書である。展示本は元代建陽刊本の特色を遺し、独特の品格を備えている。版式は細行、小字、字体は趙子昂風。目録末、巻58、巻319に刊記がある。一部補写。料紙は竹紙。当館では慎独斎刊本としてほかに『群書集事淵海』『東莱先生三史詳節』も所蔵する。

壽寧待誌

「壽寧待誌(じゅねいたいし)」 2巻 (明)馮夢龍撰 崇禎10(1637)序刊 4冊 25.7×16.2cm 【WA35-62】

福建省寿寧県の地誌。中国に伝存せず当館のみ所蔵する。馮夢龍(1574-1645)が寿寧県の知県在任中に著した地誌で寿寧県の歴史、地理、政治、経済等が実地の調査や豊富な史料をもとに記されている。また、彼の思想や政治活動に関する記事も見られ、伝記資料としても価値が高い。馮夢龍は長洲(江蘇省呉県)の人、字猶龍または子猶。民歌、民間説話、小説、戯曲の収集整理と創作に尽くし『笑府』『三言二拍』等多数の著作がある。馮夢龍と親交があった福州の文人徐[ボツ](←火扁に勃)旧蔵書。

墨苑

「墨苑(ぼくえん)」 12巻 付録9巻 (明)程大約編 (明)丁雲鵬等画 黄鏻等刻 新安 程氏滋蘭堂 万暦32(1604)序刊 20冊 30.6×19.5cm 【WA35-21】

一版多色刷の精緻秀麗な墨譜。墨譜は墨商が自家製作の墨の図柄を集め、顧客への豪華版カタログとして作成したもの。本書は名墨の産地歙州新安(安徽省)の有力墨商程大約(室号滋蘭堂)が編集、出版した。当時の著名画家による墨面の図柄500種余とその賛を題材により玄工、輿図、人宮、物華、儒蔵、緇黄に分けて収録する。付編「人文爵里」には董其昌ら諸大家が寄せた題詞が秀抜な写刻体で付されている。版刻は徽派版画の名匠黄鏻らによる。展示本は収録図383図。五色刷り29図を含む。輿図、物華、緇黄の各巻に欠落がある。

永楽大典

「永楽大典(えいらくたいてん)」 巻2279-2281 (明)解縉等輯 内府 嘉靖41-隆慶元(1562-67)重写 1冊 50.3×29.8cm 【WA37-7】

明の成祖永楽帝の勅命により編纂された中国最大の類書(百科事典)。韻別に配列された主題語のもとに、当時存在した7、8千種の図書から抽出した記事を収録する。現在では亡逸してしまった図書も多く資料的価値が高い。本文22,877巻、目録60巻。11,095冊。印刷刊行されることなく宮室に秘蔵された原写本は明末に焼失、嘉靖隆慶年間に重写された副本も清末に殆ど散逸、今日世界各地に伝存するものは800巻余、400冊に満たない。料紙は上質の宣紙。匡郭、界線と引用書名は朱墨で書かれている。装訂は黄色絹布を用いた包背装。当館蔵本は「湖」の字の項「湖州府」の一部である。

〔欽定四庫全書零本〕

「〔欽定四庫全書零本〕(きんていしこぜんしょれいほん)」 (清)紀昀等輯 乾隆年間(1736-95)写 4冊 27.4×17.3cm 【WA37-12】

清乾隆年間に編纂された一大叢書「四庫全書」の一部。総纂官紀昀以下300人余の学者が約10年を費やして編集、筆写したもの。経史子集の四部すなわち四庫に分類されている。収録する図書は3,400種余、全79,300巻余。約36,500冊。編纂後さらに7部の写本が作られ、宮中や各地の離宮等の書庫に一組ずつ収蔵した。当館が所蔵するものは各部一冊、清高士奇撰『春秋地名考略』、宋蘇轍撰『古史』、宋釈曇瑩撰『珞琭子賦注』、明張溥撰『漢魏六朝百三家集』それぞれの一部である。経史子集の各冊は絹表紙で緑、朱、青、茶色に区別されている。装訂は包背装。

纂図互註周礼

「纂図互註周礼(さんとごちゅうしゅらい)」 巻1,2 (漢)鄭玄註 (唐)陸徳明音義 〔李氏朝鮮太宗3-世宗2(1403-20)年間〕印 1冊 27.4×18.2cm 【WA36-1】

癸未活字印本。1403年癸未の年に鋳造した銅活字で印刷された「周礼」の注釈書。書体は南宋の蜀本に似た欧陽詢風。伝本僅かな癸未活字印本の一つ。朝鮮ではグーテンベルクの活字印刷創始以前、13世紀初め高麗時代(918-1392)に金属活字印刷が始められた。李朝時代(1392-1910)には政府の教化政策により「鋳字所」が設置され、精巧な金属活字の鋳造と印刷、出版が盛んに行われた。これらの印本は日本にも舶載され、その印刷技術は16世紀わが国の活字印刷に影響を与えた。展示本は口絵にあたる「纂図」、篇目、巻2第29丁、巻3以下を欠く。「敬復斎」(三要元佶)の印記。

続三綱行実図

「続三綱行実図(ぞくさんこうこうじつず)」 3巻 (朝鮮)申用漑等編 〔朝鮮〕 正徳9(1514)序刊 2冊 35.8×22.0cm 【WA36-7】

君臣、父子、夫婦三綱の模範となるべき孝子36人、忠臣6人、烈女38人の行実を図を配し説明した書。世宗13年(1431)成立の『三綱行実図』以後の事例を採録する。中宗の命により正徳9年(1514)成立。各葉の表一面に図を刻し、裏に行実の漢文解説を記し、賛を加える。図の上欄には漢文と同内容のハングルを添記する。『三綱行実図』とともに日本に影響を与えた朝鮮書の一つで、江戸初期の孝子説話集には本書から題材を得たものもある。

古写本

印刷された書物を刊本(版本)と呼ぶのに対し、手で書いた本を写本といいます。わが国には古くから、仏教経典や歌集などをはじめとして多くの文献が写本として伝えられており、書物の伝来のうえでの一特徴をなしています。室町時代末または江戸時代初めまでに作られた写本は「古写本」と呼ばれ珍重されます。

天台山記

「天台山記(てんだいさんき)」 (唐)徐霊府著 〔平安後期〕写 1冊 25.5×15.5cm 重要文化財 【WA1-2】

中国浙江省にある霊地天台山の地誌。展示本は料紙、書風などから平安時代の写本と推定される。表紙中央に「天台山記」と墨書、その右肩に「安然書」と加筆。安然(841?-915?)は天台宗の碩学、本書が安然の筆になるものかは未詳。本文の次に「仏祖統紀諦観伝」が別筆で書写されている。本書の原本は中国では失われ、今日に遺るのは展示本だけである。また、唐代の地誌としても伝存する唯一のものである。清の黎庶昌が光緒10年(1884)に日本伝存の中国の珍書26種を集めて刊行した『古逸叢書』所収本の原本。料紙は斐紙。粘葉装。大原三千院梶井円融房旧蔵。

〔師守記〕

「〔師守記〕(もろもりき)」 64巻 中原師守自筆 暦応2-応安7(1339-74) 64軸 縦27.0-30.9cm 重要文化財 【WA1-5】

南北朝時代の公卿、中原師守(生没年未詳)の日記。書状、具注暦、仮名暦の紙背や暦の暦日ごとの余白、及び欄外などに日記が記されている。この日記は兄師茂を中心とした記載のため『師茂記』と呼ばれていたこともある。師守は北朝方にあって大炊頭、雅楽頭、少外記などを務めた。日記中には朝儀や公事、公領、家領の記述の他に、後醍醐天皇の崩御(暦応2年8月)や将軍足利尊氏らが見物した橋勧進田楽(貞和5年6月)についてなど当時の政治、軍事、社会の情況が豊富に記されており、当代一級の史料である。

満済准后日記

「満済准后日記(まんさいじゅごうにっき)」 11巻 満済自筆 応永18-29(1411-22) 11軸 縦32.0cm 重要文化財 【WA1-1】

室町時代前期の醍醐寺座主満済(1378-1435)の日記。『法身院准后記』ともいう。全巻具注暦の裏を用いて暦の日付の裏面に同日付の日記が記されている。原装は巻子本であったが折本11帖に改装、その後再び巻子本にもどされた。応永30年(1423)から永享7年(1435)までの日記(38冊)は醍醐寺三宝院が所蔵(重要文化財)。満済は足利義満、義持、義教三代の将軍に近侍し「黒衣の宰相」と称され幕政に参画した。日記中には護持僧としての祈祷関係の記事の他に、幕府内外の政治や外交の諸問題が詳細、正確に記されており、当時の状況を今日に伝える重要な史料の一つである。

銘尽

「銘尽(めいづくし)」 応永30(1423)写 1冊 27.5×21.0cm 重要文化財 【WA1-4】

本文中に「正和五年」(1316)の記述があることから、内容は鎌倉時代末期に成立した刀剣書とみられるが、奥書に「應永卅年十二月廿一日」とあり、室町時代の転写本である。神代より鎌倉時代末期までの刀工の系図や、当代の刀工などについて記す。「古今諸国鍛冶之銘」と題した箇所では52人の刀工を掲げ、とりわけ粟田口藤四郎吉光や大和の中次郎国正など42人の刀工については、刀の中心形を上部に図示、その下に作名、国、系統、時代、作風の特徴を記している。書名は9丁裏に「銘尽」と記されていることによる。巻首欠落、墨付45丁。装訂は大和綴風の仮綴。東寺塔頭の一つ、観智院が旧蔵していたことから「観智院本銘尽」とも称される。明治43年購入。

〔雑字類書〕

「〔雑字類書〕(ざつじるいしょ)」 〔室町中期〕写 1冊 22.0×18.3cm 【WA16-21】

いろは引き分類辞書。冒頭が「伊勢」で始まる所謂「伊勢本」系統の節用集(室町時代に成立した国語辞書)の一つ。書中に「文明六年」(1474)とあることから「文明本節用集」とも称される。現存する節用集諸本のなかで最古の部類に属す写本といわれる。内容的には収録語彙が多いこと、漢籍の出典を多く引用して詳細な訓点が施されていることなどが特徴である。室町時代の国語資料として貴重である。全巻一筆。分類を示す門名のみは陰刻黒印で押捺されている。書名は箱書「古写本雑字類書」による。巻末に「天下無雙」(寺田望南)の印記。

尚書

「尚書(しょうしょ)」 巻5 (漢)孔安國伝 永正11(1514)清原宣賢写 1冊 27.5×21.5㎝ 【WA16-68】

中国古代の聖王、賢主の言辞や教令を編集した史書。儒教の五経の一つ。展示本は清原宣賢書写、加点本。永正10年(1513)から翌11年にかけて書写されたもの。もと13巻本中の巻5にあたる。巻7及び巻10は京都大学が所蔵する。清原家は平安時代中期頃に明経博士家となって以来、室町時代末期に至るまで累代、経学の研鑽に励んできた。宣賢(1475-1550)は清原家学の、また室町時代以前の漢学の集大成者として高名である。

古刊本

わが国で室町時代末期までに出版された刊本は古刊本、あるいは古版本、旧刊本などと称されます。当館では慶長期までに出版された刊本はすべて貴重書に指定しています。

新刊五百家註音辯唐柳先生文集

「新刊五百家註音辯唐柳先生文集(しんかんごひゃっかちゅうおんべんとうりゅうせんせいぶんしゅう)」 45巻序目1巻 (唐)柳宗元著 (宋)魏仲舉編 臨川寺 嘉慶元(1387)刊 11冊 25.5×19.0㎝ 【WA6-14】

五山版。兪良甫刻本。南北朝時代には元朝末期の動乱を避け、中国から兪良甫、陳孟栄などの刻工が多数わが国に渡来した。彼らは臨川寺などに寄寓して開版活動に従事し、和刻本漢籍に宋元風の版式を盛行させる上で大きく貢献した。本書は唐の柳宗元の文集に諸家の注釈を加えた大部なものであるが、比較的多く伝存している。展示本は返り点や送り仮名が施され、書入れが多い。原表紙を欠き、大幅な補修が加えられている。

仏果圜悟禪師碧巌録

「仏果圜悟禪師碧巌録(ぶっかえんごぜんじへきがんろく)」 10巻 (宋)重顯頌古 克勤評唱 美濃 瑞竜寺 〔室町〕刊 5冊 27.2×19.0㎝ 【WA6-59】

五山版。美濃版『碧巌録』は文明年間に悟渓心宗禅師が美濃国の瑞竜寺に在住の際、四方に募縁して開版したものといわれている。『碧巌録』は禅の問答百則を選んで本文とし、註と頌をつけた『雪竇和尚百則頌古』を、圜悟克勤があらためて講釈したもので、元の大徳4年(1300)の初刊である。わが国では、南北朝時代前半に建仁寺の玉峯正琳によって初めて覆元本(元代刊本の覆刻本)が刊行されて以来、東福寺、妙心寺などのほか各地の禅林でも刊行され、禅宗の基本文献のひとつとして尊重されてきた。「読杜艸堂」(寺田望南)の印記。

夢中問答集

「夢中問答集(むちゅうもんどうしゅう)」 3巻 足利直義問 夢窓疎石答 大高重成 康永元(1342)跋刊 〔室町〕補刻 3冊 25.0×19.8㎝ 【WA6-9】

五山版。片仮名交じりの出版物のはじめ。夢窓疎石が足利直義の質問に答えた93章の仮名法語。禅の奥義を平易に説いた手引書として直義に仕えた大高重成が施財刊行した。宋版の書風の影響がみられる大字本で、全体的に室町時代初期頃の補刻が加えられているが、伝存する同種版本中唯一の完本とされる。「読杜艸堂」(寺田望南)の印記。

藏乘法數

「 藏乘法數(ぞうじょうほっすう)」 1巻 (元)可遂重集 周州 大内盛見 応永17(1410)刊 1冊 23.9×17.0cm 【WA6-7】

大内版。大内版は室町時代の周防大内氏の出版物で天文8年(1539)刊行の『聚分韻略』がよく知られている。刊行者の大内盛見(1377-1431 道雄居士)は応永の乱(1399)をおこした大内義弘の弟。武勇に優れ、禅を修め、儒学、詩文を嗜んだ。朝鮮からたびたび大蔵経典を求め、その一部を刊行したともいわれている。『 藏乘法數』は仏教における名数を説明したものである。巻末に出版経緯を記した応永17年(1410)の刊語がある。

聚分韻略

「聚分韻略(しゅうぶんいんりゃく)」 5巻 虎關師錬著 薩陽和泉荘 文明13(1481)刊 1冊 24.6×19.0cm 【WA6-51】

薩摩版。室町時代に島津氏領内で出版されたもので薩摩版『聚分韻略』として知られる。『聚分韻略』は、作詩の参考に用いる韻引き辞書で主に禅林において用いられ、中世に約20種ほどの版がある。計113韻、約8,000の漢字をおさめる。著者虎関師錬は南北朝時代の臨済宗の僧侶、詩文に長じた。展示本は平声、上声、去声を3段に重ねて検索の便宜をはかった三重韻形式の現存最古の版。無訓本。音訓仮名の加筆は室町時代と見られる。「青裳文庫」(狩谷棭斎)の印記。

論語集解

「論語集解(ろんごしっかい)」 巻1-8, 7-10 (魏)何晏集解 堺 道祐居士 〔室町後期〕印 4冊 27.5×21.2cm 【WA6-77】

堺版。南北朝から室町末期にかけて泉州堺で商人や医師などによって刊行されたものを堺版と称している。『論語集解』は経書としては日本最古の刊本。堺の道祐居士が正平19年(1364)に刊行したという跋文があることから「正平版論語」と称される。道祐居士の伝記は未詳。初刻本の版木は早くに失われたが、その後の覆刻本に単跋本と双跋本とがある。展示本は単跋本からさらに刊記を削除した無跋本と称されるもので、室町時代後期の後印と見られる。本文中には同時代のものと思われる朱点、訓点が施されている。

新編名方類證醫書大全

「新編名方類證醫書大全(しんぺんめいほうるいしょういしょたいぜん)」 24巻 (明)熊宗立編 堺 阿佐井野宗瑞 大永8(1528)刊 9冊 28.3×19.4㎝ 【WA6-22】

阿佐井野版。堺の医師といわれる阿佐井野宗瑞(1473-1532)による出版。日本で最初に出版された医書。明の成化3年(1467)に刊行されたものを宗瑞が施財、翻刻した。建仁寺の僧、幻雲寿桂(1460-1533)による刊語中に刊行の経緯が記されている。『醫書大全』は病状に応じた処方をわかりやすく記してあり、実用性が高く江戸時代中期に至るまで阿佐井野版の版木を用いて刷を重ねた。

節用集

「節用集(せつようしゅう)」 〔林宗二〕 〔室町末期〕刊 1冊 14.0×20.8cm 【WA6-71】

いろは引き分類辞書。冒頭の語が「伊勢」で始まる伊勢本系節用集の刊本。刊記は無いが古くより饅頭屋林宗二刊行として伝えられ、「饅頭屋本節用集」の名で知られる。林宗二は室町時代後期の奈良の商人で歌学者。家業の饅頭屋の傍ら三条西実隆、清原宣賢ら当時の第一級の学者に和漢の学を学び、連歌師の牡丹花肖柏より古今伝授を受けたという。現存している「饅頭屋本節用集」には首尾の欠けているものが多いといわれるが、展示本は摺り、保存状態ともに良い本である。形態は使用の便をはかった小型の横本。「伴氏家印」(伴直方)「榊原家蔵」(榊原芳野)の印記。

韻鏡

「韻鏡(いんきょう)」 永禄7(1564)刊 1冊 28.8×20.0㎝ 【WA6-81】

隋唐時代の漢語の発音を一覧表にしたもの。南宋の紹興31年(1161)に張麟之によって初めて刊行された。中国では早くに佚亡して伝わらないが、わが国では嘉泰3年(1203)刊本が鎌倉時代に伝来して以来、漢字音を知るための重要な資料として珍重されてきた。最初の和刻本が享禄元年(1528)に、訂正改刻本が永禄7年(1564)に刊行されている。永禄刊本は展示本のほかに現在数本の所在が確認されている。首葉に「船橋蔵書」(清原家)の印記。国語学者亀田次郎旧蔵本。

古活字版

文禄・慶長・元和・寛永の約50年間にわたり、活字印刷により出版された書物を、近世中期以降の活字印刷物と区別して「古活字版」と称しています。豊臣秀吉の朝鮮出兵に際しもたらされた活字印刷機を用い、文禄2年(1593)後陽成天皇の命により『古文孝経』が刷られたとのことです。

天台四教儀集解

「天台四教儀集解(てんだいしきょうぎしゅうげ)」 3巻 (宋)從義撰 文禄4(1595)刊 3冊 28.0×19.7cm 【WA7-18】

古活字版。巻末に「文禄四乙未暦十一月二十四日」とあり、刊記のある現存最古の古活字版とされる。現在当館のもの以外に伝本が知られていない。これと同じ活字を用いたものに同年(1595)12月本国寺の僧日保が開版した『法華玄義序』がある。『天台四教儀集解』は天台宗の教義書『天台四教儀』の注釈書。

古文孝經

「古文孝經(こぶんこうきょう」 1巻 (漢)孔安國伝 慶長4(1599)刊 1冊 29.0×20.0cm 【WA7-7】

古活字版。慶長年間に後陽成天皇が出版させた慶長勅版の一つ。風格のある大型の文字が印象的である。活字は印刷面から木活字であろうと推定されている。『古文孝經』は中国では早くに亡失したが、わが国には奈良時代にもたらされ、倫理道徳の書として尊重された。古活字版『古文孝經』は本書に先だち文禄2年(1593)秋、後陽成天皇の命により朝鮮招来の活字印刷機で印刷されたといわれるが、その版本は確認されていない。

標題句解孔子家語

「標題句解孔子家語(ひょうだいくかいこうしけご)」 3巻 (元)王廣謀句解 慶長4(1599)跋刊 4冊 27.1×18.2cm 【WA7-186】

古活字版。伏見版。徳川家康の命により足利学校第九代庠主三要元佶(1548-1612)が京都伏見円光寺で慶長4年から11年にかけて出版したものを伏見版と称している。本書のほかに『貞観政要』『三略』『周易』『七書』等が刊行された。伏見版に用いられた木活字は約10万個といわれるが、その活字約5万2千個と付属品の一部は、現在洛北円光寺に重要文化財として保管される。『孔子家語』は孔子の言行や門人との対話を収録したもので、『論語』とともに我が国では古くから読まれた。本書巻末には慶長4年三要の刊語が記されている。

羣書治要

「羣書治要(ぐんしょちよう)」 巻1-3, 5-12, 14-19, 21-50 (唐)魏徴等撰 〔元和2(1616)〕刊 47冊 26.2×19.5㎝ 【WA7-16】

古活字版。駿河版。徳川家康が慶長12年(1607)駿府に退隠して後、林道春(羅山)と金地院崇伝に命じて刊行させたものを駿河版という。本書のほかに『大蔵一覧集』10巻11冊が刊行された。駿河版はわが国で最初に鋳造した銅活字約10万個を用いて印刷されたといわれるが、家康の死去により中断された。この時の銅活字と付属品の一部は現在凸版印刷株式会社が所蔵、重要文化財に指定されている。『羣書治要』は群書の中から治世に関するものを抜粋、編集したもので唐代に成立した。政治の要道が記され帝王学の書として尊重されたが、中国では宋代に散逸、わが国において伝来してきた。

帝鑑図説

「帝鑑図説(ていかんずせつ)」 2巻 (明)張居正、呂調陽撰 〔慶長11(1606)〕刊 6冊 26.6×18.4cm 【WA7-9】

古活字版。本書は慶長11年(1606)豊臣秀頼が出版したもので秀頼版と称される。中国古代から宋代までの君主の事蹟の中から善事、悪事を選び出し、一事ごとに挿絵及び解説を加えた帝王教育の書。万暦元年(1573)の序を持つ明版を底本とする。古活字版史上最初期の絵入り本。挿絵は整版で、丁の表裏にわたっている。近世初期、狩野派の絵師たちが画題とした帝鑑図は、この『帝鑑図説』の挿絵から影響を受けたといわれる。本書には、巻末に跋文のある有刊記本とこれを除いた無刊記本、さらに異植字版(同種類の活字を用いて組み換えた版)などがあるが、展示本は無刊記本である。各冊末に慶長18年(1613)足利学校第十代庠主寒松の奥書がある。

黄帝内經素問註證發微

「黄帝内經素問註證發微(こうていないきょうそもんちゅうしょうはつび)」 9巻補遺1巻 (明)馬蒔撰 梅寿 慶長13(1608)刊 12冊 27.8×19.8㎝ 【WA7-190】

古活字版。梅寿刊行医書。梅寿は慶長後半から寛永年間まで明刊本の医書の翻印を行い、約30種を出版している。『黄帝内經』は中国医学の古典として尊ばれ、紀元前2-1世紀頃の作と伝えられる。「素問」の部と「霊枢」の部からなり、本書は「素問」の注釈書で、明の万暦14年(1586)宝命堂刊本を底本として翻印したもの。見返しの原書の書名、刊年、刊行者の部分は整版。昭和52年に旧新発田藩医長谷川家より寄贈。

萬葉集

「萬葉集(まんようしゅう)」 20巻 〔慶長・元和年間〕刊 20冊 28.3×20.4cm 【WA7-109】

古活字版。古活字版『萬葉集』には無訓本と付訓本とがある。展示本は付訓本である。付訓本は無訓本を底本とし、本文行間に片仮名の訓の活字を入れたものである。江戸時代の流布本となった寛永20年(1643)版の『萬葉集』はこの付訓本の覆刻整版である。榊原芳野旧蔵本。

伊勢物語

「伊勢物語(いせものがたり)」 2巻 慶長15(1610)刊 1冊 27.2×19.0cm 【WA7-27】

古活字版。嵯峨本。嵯峨本は本阿弥光悦が嵯峨の豪商角倉素庵の協力を得て慶長から元和年間にかけて出版したもので、装訂に意匠を凝らしているのが特徴である。古活字版『伊勢物語』には多くの異版があるが最初の刊行は慶長13年(1608)。展示本は慶長15年(1610)の刊記がある具引き素紙刷。慶長13年版をもとにして刊行した旨の刊語がある。挿絵と刊語は整版。ところどころにみえる書き入れは、歌人で若狭小浜城主であった木下長嘯子(1569-1649)によるといわれている。当館では本書の異植字版も所蔵する。

徒然草

「徒然草(つれづれぐさ)」 2巻 吉田兼好著 〔慶長・元和年間〕刊 2冊 27.5×21.4cm 【WA7-219】

古活字版。嵯峨本。『徒然草』は『伊勢物語』と共に近世初期に最も数多く出版された国文学書である。古活字版には慶長18年(1613)刊の烏丸光広本、嵯峨本など10種をこえる異版がある。嵯峨本では雲母刷の版が知られているが展示本は素紙刷。アメリカの蔵書家ドナルド・ハイド(1909-66)旧蔵本で、巻末に「拜土蔵書」の印記がある。

顯戒論

「 顯戒論(けんかいろん)」 3巻 最澄撰 元和3(1617)刊 3冊 27.4×17.3cm 【WA7-223】

古活字版。宗存版。慶長末年から寛永初年にかけて京都北野経王堂において天台僧宗存が刊行したものを宗存版と称している。宗存については生没年、経歴など未詳。刊行されたものは大蔵経中の経典と天台宗の教義書などである。宗存版に使用されたと推定されている木製の活字は現在、比叡山延暦寺が所蔵する。『 顯戒論』は最澄が南都仏教の小乗戒に対して比叡山における大乗菩薩戒の独立を宣言したもので、日本天台宗成立の基礎となった書。展示本は下巻16丁表「聲」の字が転倒して印刷されている。「寶玲文庫」(フランク・ホーレー)の印記。

諸經要集

「諸經要集(しょきょうようしゅう)」 20巻 (唐)道世編 寛永15(1638)刊 20冊 28.9×21.0cm 【WA7-83】

古活字版。天海版一切経の内。慈眼大師天海(1536?-1643)の発願により寛永14年(1637)から慶安元年(1648)の12年間にわたって刊行された大蔵経を天海版一切経という。『諸經要集』は唐の道世(?-668)が諸々の経典類の中から要文を抜粋、類別編纂した書。展示本巻第20の巻末には天海僧正の発願文と寛永15年の刊記がある。各巻見返しに「浄教房真如蔵」、後見返しに「天台南谷禅林院常住」などの墨記があり、かつて比叡山の寺院に旧蔵されていたものと思われる。天海版に用いられたと伝えられる木製の活字は、現在も上野寛永寺が所蔵する。

絵本・絵巻など

当館では絵本、絵巻物などで特に資料的芸術的価値があると認められるものは、印刷あるいは書写年代を問わず貴重書に指定しています。ここではその中から、江戸時代前半に制作された絵巻物2点、菱川師宣、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿などの描いた絵本5点、加えて、司馬江漢の創製した腐蝕銅版画1点、歌川広重の名品揃物1点、計9点を展示します。

おどりの図

「おどりの図(おどりのず)」 〔江戸初期〕写 1軸 縦23.5cm 【WA31-9】

肉筆彩色絵巻。住よしおとり(住吉踊)、おいせおとり(伊勢踊)、かけおとり(掛踊)、こきりこおとり(小切子踊)、小町おとり(小町踊)、から子おとり(唐子踊)、ほうさいおとり(泡斎踊)、さし物おとり(指物踊)の8種の民俗舞踊が描かれる。余白にはそれぞれに関連した戯文が散らし書きにされる。筆写は不明だが、画風などから江戸初期頃の制作と推定される。また、いずれも近世流行した風流系の群舞であることから、民俗芸能の研究においても貴重な資料である。

大ゑつ

「大ゑつ(だいえつ)」 伝住吉廣守画 〔江戸中期〕写 2軸 縦32.6cm 【WA31-17】

「大黒舞」とも称される御伽草子の絵巻物。親孝行の主人公「大ゑつのすけ」が清水観音と大黒天、恵比寿の加護により富貴の人となり子孫繁栄するという物語。物語の成立は室町時代末期といわれているが、展示本は江戸時代中期頃に描かれたと推定される。料紙は鳥の子、金泥草花下絵。表紙は紺地金唐草葵織模様、銀金具付、上巻のみ「大ゑつ」と墨書された題簽貼付。挿図は上巻7図、下巻7図。絵師は不明であるが箱書きには「伝住吉広守筆」とある。住吉広守(1705-77)は江戸時代中期住吉派の画家。横山重旧蔵本。

餘景作り庭の図

「餘景作り庭の図(よけいつくりにわのず)」 菱川〔師宣〕画 江戸 柏屋与市 延宝8(1680)刊 2冊(合冊) 26.6×18.5㎝ 【WA32-16】

作庭造園の絵本。版刻題簽には「新板築山図付庭尽全」とあるが書名は内題による。版刻浮世絵創始期の寛文から元禄にかけて活躍した菱川師宣(?-1694)が手がけた絵入り版本のひとつで、庭園に人物が調和して描かれている。本書には延宝8年版(初版)、元禄4年(1691)改版、刊年不明版とがあり、展示本は延宝版である。全21図。元禄4年版は延宝版を底本とし江戸鱗形屋刊行、延宝版にある「きく水の庭」「四季の花段」「こがらしのもり」の3図を欠く。刊年不明版は元禄4年改版と同じであるが、さらに画中の人物が削除されている。

父の恩

「父の恩(ちちのおん)」 市川三升編 英一蜂,小川破笠画 享保15(1730)刊 2冊 26.5×17.3㎝ 【WA9-8】

二世団十郎(俳名三升)が父初世団十郎の二十七回忌のために刊行した追善句集で、享保期を代表する絵入り俳書。挿絵は墨刷で英一蝶の弟子英一蜂が描く。最後の挿絵4図は初世団十郎(俳名才牛)が春夏秋冬を詠んだ四季の句に合わせて、芭蕉の門弟で漆芸家、画家としても活躍した小川破笠が描いている。この部分は手彩色と版彩色を併用、彩色刷版本の最初期の作例である。なお、物故俳優65人の名なども記されており、演劇資料としても貴重である。小汀利得旧蔵本。

青摟美人合

「青摟美人合(せいろうびじんあわせ)」 鈴木春信画 江戸 舟木嘉助他 明和7(1770)刊 5冊 27.0×18.2㎝ 【WA32-5】

彩色摺絵本。青楼は吉原を指し、書名は「よしわらびじんあわせ」ともよむ。吉原の遊女166名がそれぞれ、桜、ほととぎす、月、紅葉、雪の俳諧景物を詠んだ句を添えて描かれている。絵師は鈴木春信(1725?-70)。題簽書名の下に「江」「京」等とあるのは、描かれた遊女の所属店の所在から新吉原の「江戸町」「京町」などの町名を表すとされる。鈴木春信は明和年間の浮世絵界で錦絵という多色摺版画制作創始期の中心的役割を果たし、美人画において知られる。

彩色美津朝

「彩色美津朝(さいしきみつのあさ)」 鳥居清長画 永壽堂 天明7(1787)刊 1帖 25.9×19.0㎝  【WA32-13】

大判錦絵7枚からなる折本仕立の絵本。「吉書はしめ」「きそはしめ」「弓はしめ」「蔵ひらき」「馬のりそめ」「ゆとのはしめ」「あきなひはしめ」と題する江戸の正月の行事、風俗7景が描かれる。「美津朝」とは正月元日がその年、月、日の三つの始めであることから題されている。当時、芝居絵、美人画の第一人者であった鳥居清長(1752-1815)の全盛期の作品。第7景「あきなひはしめ」は本書の版元である絵双紙屋永寿堂(西村与八)の店頭における初売り風景。女性の帯柄には篆書で「永寿」の文字がデザインされている。調和のとれた色彩と巧みな筆致で芸術性の高い絵本である。国内では当館が唯一の所蔵。他にはフランス国立図書館、ボストン美術館の所蔵が知られている。画商林忠正の蔵書印、パリの宝石商で浮世絵収集家ヴェヴェール(H.Vever)の書入がある。

潮干のつと

「潮干のつと(しおひのつと)」 喜多川歌麿画 あけら菅江編 江戸 蔦屋重三郎 〔寛政初期〕刊 1帖 27.4×19.4㎝ 【WA32-7】

彩色摺狂歌絵本。「潮干のつと」とは「潮干狩りのみやげ」という意味。36種の貝と、初めと終わりに付した関連美人風俗図を、朱楽菅江(1740-99)と彼の率いる朱楽連の狂歌師たち38名が1名1首ずつ詠む。画工は喜多川歌麿(1753?-1806)。本書には波模様や「貝合せ図」の障子に映る手拭いの影の有無等、摺りが異なるものが数種存在するが、展示本には波模様、影ともに無い。本書は安永から寛政にかけて蔦屋重三郎が刊行した狂歌絵本の代表的なもので、空摺りや雲母などが施され、当時の最高水準の技術を駆使して制作された華美で贅沢な作品である。

三圍景

「三圍景(みめぐりのけい)」 司馬江漢画 天明3(1783) 1枚 26.5×38.7cm 【WA33-9】

わが国の銅版画の始まりは近世初頭キリシタンによる彫刻銅版画に遡るが、本作品は江戸時代後期を代表する洋風画家、司馬江漢(1747-1818)が創製した本邦最初の腐蝕銅版画(エッチング)。眼鏡絵(鏡に写して覗き眼鏡で鑑賞する絵)として制作されたため、左右が逆に描かれている。上部に「三囲景」と逆文字で記され、輪郭の外には不鮮明だが「天明癸卯九月」「芝門 司馬江漢製作」と款記がある。向島の三囲神社を隅田川の川下から眺めた図。未発達の遠近法で、川岸は弧形に、筑波山が遠くに描かれる。江漢は天明7年にもおなじ風景を視点を変えて描いている。この天明3年の画は所蔵館が少ない。江漢は鎖国下の日本に於いて西洋理学に関心をもち、銅版による世界地図の制作や天文学、地理学の著作を多く著した。

江戸近郊八景之内

「江戸近郊八景之内(えどきんこうはっけいのうち)」 歌川広重(一世)画 〔天保9(1838)頃〕 1帖 31.5×43.0cm 【WA33-5】

大判錦絵8枚揃の連作。芸術性の高さで広重(1797-1858)の代表作として知られる。「吾嬬杜夜雨」「羽根田落雁」「行徳帰帆」「玉川秋月」「小金井橋夕照」「芝浦晴嵐」「池上晩鐘」「飛鳥山暮雪」の八景が描かれている。初版は大盃堂呑桝という狂歌師とその連の注文制作品で欄外に「大盃堂開版」と刻記、各図中に3首ないし4首の狂歌を入れ、喜鶴堂(佐野屋喜兵衛)から刊行された。当館のものは後版で欄外の刻記は削除、狂歌は削除あるいは新しく入れ木により加えられるなど、各図1首ないし2首に変更されている。図中の極印(錦絵刊行に際しての検閲の印)の下に版元喜鶴堂「喜霍」の角丸方形朱印がある。この8枚揃は初版はもとより後版のものも遺品が少なく珍重される。

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