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NDL Gallery馬、大活躍!

馬、大活躍!

2026年の干支は馬。馬は古くから私たちの暮らしの中で大きな役割を果たしてきました。今回の展示では、古くは運搬や農耕、戦、神事で活躍し、近年では競馬やスポーツなどでも幅広く活躍する馬を国立国会図書館が所蔵する資料の中から紹介します。

馬の力

暮らしの馬

日本では4世紀以降に大陸から馬がもたらされたと言われます。馬は荷運びや農耕に役立てられ、中世には馬で荷の運搬を担う馬借が生まれました。

馬を取引する馬市も各地で行われていた

戦の馬

一方で、馬は戦にも用いられました。武士が台頭する平安時代末頃になると、馬は合戦で活躍し重宝されました。高い機動力をもつ馬は、偵察や伝令も担いました。

交通の馬

馬は古くから交通手段としても利用されてきました。7世紀後半に駅伝制が設けられ、各駅に置かれた馬を乗り継いで、速く、遠くまで人の移動や情報の伝達ができるようになります。江戸時代頃にかけては、東海道や中山道などで馬が用意された宿場町が発展しました。

幕末になると、移動手段に馬車が使われるようになります。横浜の外国人居留地を中心に利用され、次第に乗合馬車が広まりました。レールを敷いて馬に車両を牽かせる馬車鉄道も全国各地で見られるようになりました。

日本之名勝

日本橋通の馬車鉄道

日本の在来馬

4世紀に大陸から渡来し、日本で定着してきた馬は在来馬と呼ばれます。古くから馬産地として有名な東北地方では、盛岡藩の南部馬や三春藩の三春駒などの在来馬がいました。

巌手縣産馬誌

南部馬

日本地理大系 奧羽篇

三春駒放牧

明治時代に入ると、政府は軍馬の強化を目的に、体格の大きい外国産の馬を積極的に輸入して在来馬との交配を進めました。その結果、純血の在来馬は激減し、南部馬や三春駒などは姿を消しました。

明治10(1877)年にカリフォルニア州から輸入された馬の図

現在の在来馬は宮崎県の御崎馬(国の天然記念物)や長野県の木曽馬、沖縄県の宮古馬など8種を残すのみとなっており、各地で保存活動が行われています。

神事の馬

人々は馬を生活に利用する一方で、馬を神聖なものとして捉え、神馬として神社に奉納することもありました。ここでは、馬に関わる神事を紹介します。

流鏑馬

馬に騎乗しながら矢を的に射るもので、武芸の修練のために鎌倉時代の武士が盛んに行いました。神事としても古くから行われています。流鏑馬やぶさめは、室町時代に廃れたものの、江戸時代に武芸を奨励した8代将軍徳川吉宗(1684-1751)が復興させ、高田馬場や東叡山寛永寺などで流鏑馬が行われました。

徳川吉宗の治世下、元文3(1738)年に高田馬場(現在の東京都新宿区西早稲田)で行われた流鏑馬を描いている

相馬野馬追

福島県相馬地方で行われる祭りで、現代では騎馬武者が神旗を奪い合う「神旗争奪戦」や、馬を捕らえて奉納する「野馬懸」などが行われます。相馬野馬追そうまのまおいは、平将門が放牧の馬を追い、捕らえた馬を神馬として奉納したことを起源とする説があり、武術の訓練であったとも言われます。

野馬追祭

賀茂競馬

賀茂競馬かもくらべうまは、寛治7(1093)年、堀河天皇の時代に始まったとされる神事で、京都の上賀茂神社で毎年5月5日に行われます。馬を二頭ずつ走らせて勝負する形式で、現在も神事として奉納されています。

娯楽・スポーツ

競馬

馬を走らせて速さを競う競馬は、古くは「走馬」「くらべうま」「こまくらべ」などと呼ばれていました。神事として行われる賀茂競馬もその一つです。現代の競馬場で見られる洋式の競馬は幕末の横浜で居留地の外国人向けに始まりました。社交や娯楽のために行われた競馬は明治時代に広がり、上野の不忍池や札幌、宮崎などでも競馬場が開かれます。勝馬投票券(馬券)を買って競馬を観戦するスタイルは明治後期頃から広まりました。

馬術

西洋式の馬術は明治時代に陸軍で導入され、スポーツとしての馬術競技も明治時代以降に広がりました。オリンピックの馬術競技に日本が初参加したのは、昭和3(1928)年のアムステルダム大会です。昭和7(1932)年のロサンゼルス大会では、当時陸軍中尉だった西竹一(1902-1945)が大障害飛越競技で金メダルを獲得しました。時を経て、令和6(2024)年のパリ大会では馬術競技で92年ぶりのメダルとなる、銅メダルを総合馬術団体で獲得しました。

オリムピツク大会報告 第10回

大会本番の西竹一

オリムピック画報 第十回

西竹一の練習騎乗

第10回ロサンゼルス大会(「日本のオリンピック参加の歩み」本の万華鏡 第15回 もう一つの東京オリンピック)

サーカス

馬術の余興として曲乗りなどを披露する見世物は、日本でも江戸時代の享保(1716-1736)頃から行われていたといわれます。西洋の「サーカス」がもたらされたのは幕末以降です。元治元(1864)年、横浜の居留地でアメリカのリズリー一座が興行したのを皮切りに、明治4(1871)年にフランスのスリエ曲馬団が来日し浅草などで曲芸を披露しました。

馬上での曲芸や二頭乗りをしている様子が描かれている

明治19(1886)年には、イタリアのチャリネ曲馬団が日本に来日しました。馬の曲芸や猛獣の演芸などを披露するチャリネ曲馬団は人気を博したようで、横浜や浅草公園、大阪や神戸などで広く興行しました。

演目の様子を描いた双六

参考文献