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第6章 55年体制の形成

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a. 吉田内閣から鳩山内閣へ

6-3 吉田対鳩山

抜き打ち解散を発表する保利茂官房長官 『毎日グラフ』第132号所収
抜き打ち解散を発表する保利茂官房長官 『毎日グラフ』第132号所収

鳩山一郎ら追放解除になった多数の有力者が政界に復帰し、反吉田の動きが活発化した。これに対して吉田首相は、昭和27(1952)年8月28日「抜き打ち解散」を行い、反吉田派の虚をついた。選挙戦は自由党を二分して行われ、吉田批判の選挙演説をしている石橋湛山と河野一郎らに対して、吉田は党内一本化を妨害するようなら断固たる措置をとるように党幹部に指示し、9月29日、石橋と河野は自由党を除名された。(吉田茂書翰 林譲治・益谷秀次宛)

総選挙後の10月30日、第四次吉田内閣が成立したが、鳩山派の欠席により池田勇人通産大臣の不信任案が可決されるなど、対立は激化した。鳩山は吉田に、双方の「我慢」と除名の即時取消を求める書翰を送り、12月16日両者は復党する。(鳩山一郎書翰 吉田茂宛)

鳩山邸での分党派会合 『グラフィックカラー昭和史』第11巻所収
鳩山邸での分党派会合 『グラフィックカラー昭和史』第11巻所収
内閣不信任案可決で解散 (バカヤロー解散)『グラフィックカラー昭和史』第11巻所収
内閣不信任案可決で解散 (バカヤロー解散)『グラフィックカラー昭和史』第11巻所収

翌年2月28日衆議院予算委員会での吉田首相の「バカヤロー」発言を契機に提出された内閣不信任案は、分党派自由党を結成した三木武吉、石橋ら反吉田派22名の賛成によって3月14日に可決され衆議院は解散された(分党声明書)。その後、分党派自由党には自由党広川(弘禅)派15名も合流、18日には鳩山を党首に迎え鳩山自由党とも呼ばれた。

さて総選挙では、自由党が過半数を割ったのをはじめ、鳩山自由党、改進党とも保守勢力はいずれも敗退した。選挙後の特別国会での首班指名は、吉田と重光改進党総裁との決選投票となったが、両派社会党が重光支持に同調せず、吉田が指名され、第五次吉田内閣が成立した。掲出資料(テキスト表示のみ)は、吉田の私設秘書として終始その身辺にあった安斎正助が、吉田の選挙中の遊説日程について、メモしたものである。(昭和二十八年四月総選挙遊説日程)

吉田茂書翰 林譲治・益谷秀次宛

鳩山一郎書翰 吉田茂宛

分党声明書

『分党声明書』
  • 昭和28年3月14日
  • 石橋湛山関係文書 19-1
  • 国立国会図書館

昭和二十八年四月総選挙遊説日程

『昭和二十八年四月総選挙遊説日程』
  • 昭和28年4月
  • 安斎正助関係文書 16-15
  • 国立国会図書館
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