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第2章 明治国家の展開

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d. 明治期の対外関係

2-24 北清事変

北京万国倶楽部ニ於ケル米、佛、獨、伊、日、墺軍将校 『北清事変写真帖』所収
北京万国倶楽部ニ於ケル米、佛、獨、伊、日、墺軍将校 『北清事変写真帖』所収

明治33(1900)年、義和団事件が北京・天津に波及し、清国政府も義和団に加担した。列国は鎮圧に動き、日本はイギリスの要請に応じ大軍を派遣した。明治34(1901)年9月北清事変最終議定書が結ばれたが、これにより、外国軍の北京公使館区域への駐兵が認められるなどした。また事変の最中、東清鉄道保護の名目で満洲主要部を占領したロシア軍が事変終結後も撤兵しなかったことは、日露戦争の遠因となった。

本史料は、桂太郎が、その自伝の中で北清事変を回想した箇所であり、当時の陸軍大臣の立場から見た事変の詳細が描かれている。なお同部分が収録されている和装本は、明治35年頃の口述筆記を浄写したものである。

桂太郎自伝参 [北清事変記述部分]

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