日本画家。6歳で浮世絵師歌川国芳に入門したのち、前村洞和、狩野洞白の門に移り、19歳で狩野派の免許を得る。安政年間末頃より浮世絵を描き、狂斎と号したが、酒席で描いた政府要人の風刺画が咎められて投獄されたのを機に、暁斎と改めた。ユーモアに富む筆致と卓越した描写力で肉筆画、版画を含む様々なジャンルの絵を描き、建築家コンドルを門人とするなど西洋人との交流も多く、作品は海外でも評価が高い。