国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

品川弥二郎:明治10(1877)年3月1日の日記より

品川弥二郎

明治10(1877)年3月1日

兵卒斉藤弥七、奇跡の生還 西南戦争

去月二十二日の戦に台兵藤崎より賊兵を進撃するの際、兵卒斉藤弥七なる者の行衛[行方]を知らず。皆以為[おもえら]く必賊丸に中[あた]りて死せりと。その屍を探せども得ず。しかるに本日に至り、藤崎の麓より仰いで麾[さしまね]くものあり。台兵もって賊とし一丸を発[はな]つ。中[あた]らず。猶麾[さしまね]いて止[や]まず。依て台兵その傍に至りこれを見れば、則先きの斉藤某にて頬部及び足脛を射徹され、白昼動くときは賊に認められん事を恐れ菰[こも]を冐[かぶ]りて静に伏し、夜は間を伺ひ僅に匍伏[ほふく]し、八日を経て終[つ]ひに帰営せり。その間固[もと]より一飲食を為さず。疲労甚しと雖[いえども]、八日間の艱苦[かんく]を物語せり。

2月22日に行われた藤崎方面の戦いで、行方不明となっていた政府軍の兵卒が奇跡の生還を果たした話が書かれています。兵卒は斉藤弥七という名前で、22日の戦いで銃撃を受けて戦死したと思われていましたが、負傷しながらも8日後に帰営しました。