国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

品川弥二郎

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品川弥二郎の肖像写真

品川弥二郎

しながわやじろう
1843年~1900年

品川弥二郎の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 「熊本籠城日記」は、1877年の西南戦争の記録。
  • 「熊本城中品川弥二郎より」と紙が添付されているとおり、内務省大書記官の品川弥二郎が籠城中の様子を記したもの。

品川弥二郎の日記より

明治10(1877)年2月20日

熊本城下の惨禍 西南戦争
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午後、賊軍川尻駅熊本より二里に著[あらわ]す。昨日鎮台の出火より引続熊本市中は炎焔天に漲[みなぎ]り、要衝にある架橋は鎮台より破壊し、人民は難を避[さけ]んとて東奔西走、実に目視するに忍びざる景況なり。
明治10(1877)年2月21日

樺山負傷、与倉戦死 西南戦争
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賊兵熊本に進み、城の四方に迫り攻撃この日小銃のみ。我兵大小砲をもってこれに応ず。藤崎口城の西南、戦もっとも烈し、賊の七番隊長宇都宮良左衛門を打取。この日樺山中佐、与倉中佐銃創を被[こうむ]る。与倉は病院にて死。
明治10(1877)年2月26日

春眠を覚ます砲撃  西南戦争
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○十九日より今日に至迄、城の四面炎焔絶へず。○夜城中にて煙花数発を揚げて、春眠を覚ます。
明治10(1877)年3月1日

兵卒斉藤弥七、奇跡の生還 西南戦争
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去月二十二日の戦に台兵藤崎より賊兵を進撃するの際、兵卒斉藤弥七なる者の行衛[行方]を知らず。皆以為[おもえら]く必賊丸に中[あた]りて死せりと。その屍を探せども得ず。しかるに本日に至り、藤崎の麓より仰いで麾[さしまね]くものあり。台兵もって賊とし一丸を発[はな]つ。中[あた]らず。猶麾[さしまね]いて止[や]まず。依て台兵その傍に至りこれを見れば、則先きの斉藤某にて頬部及び足脛を射徹され、白昼動くときは賊に認められん事を恐れ菰[こも]を冐[かぶ]りて静に伏し、夜は間を伺ひ僅に匍伏[ほふく]し、八日を経て終[つ]ひに帰営せり。その間固[もと]より一飲食を為さず。疲労甚しと雖[いえども]、八日間の艱苦[かんく]を物語せり。
明治10(1877)年3月13日

段山(だにやま)の戦い 西南戦争
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昨日午後五時より段山[だにやま]攻撃を始め、本日午後三時に至り、賊兵敗走す。この戦や開戦已来[いらい]の大激戦にて、現に賊屍の戦跡に在[あ]る者百余。

品川弥二郎について

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