国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

品川弥二郎:明治10(1877)年2月21日の日記より

品川弥二郎

明治10(1877)年2月21日

樺山負傷、与倉戦死 西南戦争

賊兵熊本に進み、城の四方に迫り攻撃この日小銃のみ。我兵大小砲をもってこれに応ず。藤崎口城の西南、戦もっとも烈し、賊の七番隊長宇都宮良左衛門を打取。この日樺山中佐、与倉中佐銃創を被[こうむ]る。与倉は病院にて死。

21日に戦闘の火ぶたが切られました。鎮台司令官谷干城(たにたてき)少将のもとで、鎮台参謀長であった樺山資紀(かばやますけのり)中佐と第13連隊長の与倉知実(よくらともざね)中佐は被弾し、樺山は負傷、与倉は翌日死亡しました。樺山、与倉ともに西郷と同じ薩摩出身でした。なお、21日の記述が2つあるため、この日記は22日の日記である可能性があります。