国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

小林次郎:昭和20(1945)年8月11日の日記より

小林次郎

昭和20(1945)年8月11日

ポツダム宣言への対応  第二次世界大戦

五時加瀬君来訪。十日午前六時発電、スウェーデンよりロシア、英[イギリス]、瑞西[スイス]より支那[中国]、米[アメリカ]、何れも到達せり。米は午后六時四十五分頃受取りたりと云ふ。重慶は爆竹、琉球基地は高射砲を発ち、サイレンをならし、B29を出さんとするも出るものなし。米、英も戦捷[戦勝]気分にひたりおれり。英は承知すべし。米も下にも反対のものもあるも、指導者は受諾すべし。重慶は蒋は反対せざるべきも一部に反対者あり。ロシアは不明。ロシアが承諾せざれば、一応は戦を継続するの外なし。陛下が戦を止めろと仰せられしは七月九日なり。

ポツダム宣言の受諾を各国へ通知したときの様子が日記に書かれています。外交官の加瀬俊一が5時に来訪、前日の6時に日本から発信した電報は、中立国であったスウェーデンからロシア、イギリスへ、同じく中立国のスイスから中国、アメリカへ着信したことがわかります。また受け取った各国の反応が書かれています。