国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

勝海舟:文久2年11月19日(1863年1月8日)の日記より

勝海舟

文久2年11月19日(1863年1月8日)

長州藩士の外国人襲撃計画  事件

前夜萩藩の士十三輩、横浜の異人を討たんとして、生麦村まで出張せしに、この秘密の暴挙を薩藩の士聞得て、土州の老侯に密告せしが、老侯この事を勅使に告られしに早々留むべきとのことを廟堂に達し、長州家に達命せられし故、長州の世子直に同所へ騎切、出張せられ、また土州の藩士も出張し理解して引留たりと。

長州藩士が攘夷実行のため、横浜の外国人の襲撃を計画した事件について、勝は人づてに聞いた内容を記しています。文久2年11月13日(1863年1月2日)、前土佐藩主山内容堂(やまうちようどう)が長州藩の世継である毛利定広(もうりさだひろ)に襲撃計画を知らせ、定広自ら出馬して藩士を説得し、計画は未遂に終わりました。