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1945

令和7(2025)年は終戦から80年の節目の年に当たります。今回の展示では、昭和20(1945)年に出版された本や雑誌を紹介します。

このページは、令和7年7月17日(木)~9月16日(火)に国立国会図書館東京本館で開催するギャラリー展示の関連コンテンツです。展示の内容は、平成27年に開催した特集展示「1945-終戦の前後、何を読み、何を記したか」から、出版物を中心に抜粋して構成したものです。掲載資料は一部を除き、国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開又は図書館向け個人向けデジタル化資料送信サービス)でご覧になれます。
展示資料の多くは、東京をはじめとする都市部で出版されたものです。1945年のある一面を伝える資料としてご覧ください。

第1章 戦時中の出版物

昭和20(1945)年、80年前の日本は、第二次世界大戦での敗勢が色濃くなり、本土決戦も叫ばれていました。前年11月から始まったアメリカ軍による激しい空襲により主だった都市が焦土と化します。出版社・印刷所も数多く被災しますが、出版は続けられていました。

戦意昂揚

雑誌や戦記もの、絵本、時局解説本等では、特攻隊をみならうべし、精神力で勝つべしといった戦意高揚を狙う論調が多く見られます。

写真週報 (356)

大東亜戦美術 第2輯

展示資料等

ギャラリー展示で実際に展示する資料のほか、平成27年の特集展示に出展した資料の一部を掲載しています(以下同)。

戦時下の生活

昭和10(1935)年に発足した青年学校は、中等教育を受けない勤労青年に対して知識や技能を教えるとともに、軍事教練を行っていました。しかし、昭和20(1945)年の4月1日からはこうした学校の授業も、国民学校初等科を除いては停止されました。
空襲や建物疎開(強制取り壊し)により住むところにも苦労し、食糧の配給は少なく栄養状態が悪化する中、食事に関する出版物も見られます。

青年修身公民書 本科 4年制用 巻3

救護実習指導書 後編

展示資料等

コラム 米軍投下ビラ

敵の戦闘意欲をそぐ心理戦として、「伝単」と呼ばれるビラが利用されることがあります。日本が制空権を失ってからは、敵国であるアメリカの戦闘機から、日本の都市部にもたびたびビラが撒かれました。

〔米軍投下ビラ〕〔昭和20(1945)年8月〕

〔米軍投下ビラ〕〔昭和20(1945)年7月、8月〕

第2章 戦後の出版物

8月15日正午、ラジオ放送を通じて「玉音放送」が流れ、ポツダム宣言の受諾と終戦が伝えられました。8月30日には連合国最高司令官マッカーサー元帥が厚木海軍飛行場に降り立ち、9月2日には降伏文書の調印式が行われ、以後、日本本土では連合国による日本政府を通じた間接統治が始まりました。それを実行したのが連合国最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下「GHQ」)です。沖縄では米軍の軍事基地として土地の接収が進み、満洲で武装解除された日本兵等がシベリアに抑留されるなど、様々な問題が山積する中、希望、自由、反省、そして民主主義等の新しい動きが渦巻いていきました。

終戦とアメリカへの関心

新しい日本のあるべき姿を主張する小冊子も出版されます。また、戦時中「鬼畜米英」と憎んだアメリカは、一転して興味の対象となります。

敗戦より復興へ

敗戰日本の青年に訴ふ

マッカーサー元帥

日本のこども 9(7)

展示資料等

民主主義の萌芽・世相とジャーナリズム

GHQは次々と指令を発出し、急速に日本の民主化を推し進めようとします。また、言論の制限に関する法令を廃止するよう指令を発したことにより、戦時中は出版が認められなかったテーマの書物も次々に出版されました。

婦人参政權

新生日本と民主主義 : 憲法改正論

新生

展示資料等

コラム プランゲ文庫

GHQはそれまで抑圧されていた言論を解放した一方で、9月10日「言論及び新聞の自由に関する覚書」では「真実に符合せず若(もしく)は公安を害するニュース」を禁止し、19日には「日本の新聞準則に関する覚書」、22日には「日本の放送準則に関する覚書」を出し、10月8日からは新聞の事前検閲を開始します。その後、演劇、映画、書籍等も事前検閲の対象となりました。
GHQで戦史編纂を担当していた歴史学者ゴードン・W・プランゲによる、検閲済の雑誌・新聞・書籍のコレクションが「プランゲ文庫」としてアメリカのメリーランド大学に所蔵されており、当館では図書・雑誌・新聞等を、マイクロフィルムや国立国会図書館デジタルコレクション(公開範囲は資料によって異なります)で提供しています。

コラム 雑誌で見る戦前・戦後

戦中・戦後を通して出版されていた雑誌もあります。

週刊少國民 4(30)(166);1945・7・29

週刊少國民 4(35/36)(171/172);1945・9・2/9

『週刊少国民』7月29日号では、少年監視哨員のインタビューが掲載されています。B29を見つけて報告し、それが撃墜されたときには「憎いビー公(B29のこと)を基地へ帰さず太平洋の波の中へたたき落したんだと思ふと、その晩はひと晩ぢゆう眠れませんでした」とあります。
9月2/9日の戦後第1号の表紙には野菜を抱えた少年の笑顔。巻頭見開きには皇居の写真と「国体護持」に関する文章、「終戦の詔書」が掲載されています。「お知らせ」欄には、8月19日、26日号を休刊とした旨とともに、「十五日以前と以後とでは、すべてがすつかり変つてしまひました」と書かれています。原子爆弾の恐ろしさを伝えるページのすぐ後に、原子力で月旅行をする記事も掲載されています。

展示資料等