島々の世界文化遺産
日本にはたくさんの島があります。国土地理院は令和4(2022)年1月時点で本州、北海道、四国、九州、沖縄本島以外の14,120の島を離島とし、そのうち416の島が有人島です(1)。
島は古くから、聖なる場所とされていたり、外国との交流の場となったり、特有の産業が発展するなど、文化的に重要な場所でした。令和7(2025)年までに登録された21の日本の世界文化遺産のうち、5つが離島に関連するものです。こうした文化は、絵図や錦絵、写真などを含む様々な資料にも記録されています。このコラムでは、世界文化遺産に登録された遺産を持つ離島に沖縄本島を加え、6つの世界遺産を絵や写真で北から順にめぐります。
佐渡島(新潟県)
世界遺産:佐渡島の金山
「佐渡ヶ島」とも表記され、読み方も「さどがしま」「さどしま」があります。古くから金が採掘されていましたが、慶長6(1601)年に大きな金脈が発見されて以降、佐渡島で産出される金は江戸幕府の重要な資金源となりました。伝統的な手工業とそれに応じた管理運営体制により、高品質の金を産出していた跡が多く残されていることから、令和6(2024)年に世界文化遺産に登録されました。
佐州金銀採製全図より、「金銀山全図」と「金銀山敷内稼方之図」。採鉱から精錬、加工といった鉱山の作業の各工程が詳細に描かれている。佐渡奉行や役人への説明、奉行が任を終えて帰る際の土産等のために制作されたと思われ、同様に作業が描かれた絵巻が100本以上確認されている。
多数残されている佐渡金山の絵巻の中でも、ごく初期のものと推測されているもの。作業を記録するように描いた大半の絵巻とは異なり、詞書もなく絵画的である。
諸国名所百景(広重)
佐渡案内
明治時代末の佐渡金山
厳島(広島県)
世界遺産:厳島神社
厳島(宮島)は、広島湾に浮かぶ島です。古くから島全体が自然崇拝の対象でしたが、12世紀末に平清盛によって厳島神社が現在に近い形になると、日本屈指の参詣地となりました。自然物を遥拝する日本の神社の一般的な伝統を示すとともに、12~13世紀の建築様式を現代まで伝え、日本の宗教を理解する上で重要な資産であることなどから、平成8(1996)年に「厳島神社」として世界文化遺産に登録されました。大鳥居の内側の海や背後の森林も含めて世界遺産の構成資産とされています。
江戸時代中期に『扶桑名勝図』の一つとして刊行されたもの。図に続いて貝原益軒の解説がある。
諸国名所百景(広重)
厳島写真画帖
明治時代に撮影された「大華表」(大鳥居)
沖ノ島、大島(福岡県)
世界遺産:「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
福岡県宗像市の宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、大島の中津宮、田島(九州本土)の辺津宮の3宮から成立しています。沖ノ島は、九州本土から北に約60km離れた島です。島全体が沖津宮の御神体であり、一般人は入島が禁じられています。沖ノ島を中心に、古代東アジアとの交流をうかがわせる宗教的な伝統の変遷が残されていることや、現代まで信仰が続いていることが評価され、平成29(2017)年に世界文化遺産に登録されました。
海東諸国紀(昭和8年の複製版)
李氏朝鮮で1471年に成立した『海東諸国紀』の「日本国西海道九州之図」では、沖ノ島は「小崎於島」、大島は「於島」と書かれている(丸を付した箇所)。
宗像三社縁記 : 附・奥津宮大略
宗像三社縁記 : 附・奥津宮大略
沖津宮と、46km離れた大島にある沖津宮を拝むために建立された沖津宮遙拝所
高島、端島(軍艦島) (長崎県)
世界遺産:明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
1850年代以降の日本では、製鉄・製鋼、造船、石炭といった分野を中心に西洋の技術が移転され、応用や改善を重ねることにより、工業立国の土台が築かれました。明治時代における世界にも類を見ない急速な近代化の歴史を残すため、長崎県や福岡県等、8県の23資産が平成27(2015)年に世界文化遺産に登録されました。その中に、長崎県の高島炭坑と端島炭坑が含まれています。
長崎県地理小誌 増訂
高島の蒸気機関を使った竪坑は、佐賀藩とイギリスの商人グラバーにより開発され、日本の炭鉱近代化の礎となった。
明治末ごろの高島炭坑
三菱の百年
高島から約2.5km離れた端島は、高島の技術が引き継がれ、明治後期には一帯の炭鉱事業の主力となった。その姿から軍艦島とも呼ばれた。
三菱鉱業社史
端島では、日本最初の鉄筋コンクリートのアパートをはじめ、多数のアパートが建てられた。幅160m、長さ480mという小さな島に多くの人が住み、1960年代の人口密度は世界でも屈指であったと言われている。
平戸・黒島・五島列島・天草 (長崎県・熊本県)
世界遺産:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
江戸時代から明治時代初めまでのキリスト教への弾圧の中、社会と共存しながら密かに信仰を続けた「潜伏キリシタン」。既存の自然崇拝に重ねて山岳や殉教地への崇敬を続けた平戸、離島に移住して信仰を続けた黒島や五島列島の集落等、潜伏キリシタンの歴史を伝える12の資産が、平成30(2018)年に世界文化遺産に登録されました。
江戸から長崎までの道中が描かれた絵図。最後は平戸や五島で終わっている。左上には「こうらい」、左下には「りうきう」の文字も見える。
日本聖人鮮血遺書 訂正増補6版
カミロ・コンスタンツォ神父が平戸で処刑される図。神父を手助けした信者等が殉教した中江ノ島は、殉教の地として世界遺産となっている。
声 (306)
明治35(1902)年に建てられた黒島天主堂(黒島)。国の重要文化祭に指定されている。明治6(1873)年にキリシタン禁制の高札が撤去されると、外国人宣教師が布教活動を行うようになり、五島列島の島々でも天主堂が建てられた。
声 (421)
明治43(1910)年に新築された当初の奈摩内天主堂(現在の青砂ヶ浦教会)(五島列島、中通島)
(参考)世界文化遺産を構成している資産のひとつ、大浦天主堂(長崎市)。文久4(1864)年の竣工当時とみられ、撮影は上野彦馬。翌年の3月17日、外国人信徒のために作られたこの教会に、日本人のキリスト教徒十数名が現れたことから、潜伏キリシタンの存在が明らかになった。
沖縄本島(沖縄県)
世界遺産:琉球王国のグスク及び関連遺産群
14世紀から15世紀初め、琉球列島では三山と呼ばれる3つの国が分立していましたが、それらを15世紀中ごろに琉球王国が統一しました。琉球は、日本・中国・朝鮮・東南アジアの交流地点であり、各地域の影響を受けた建築や自然崇拝的な独特の信仰形態といった、独自の文化を形成したことから、このころ作られた城(グスク)の跡や、琉球王の居城で統治の中心だった首里城、そのほか王室関連の遺跡が、平成12(2000)年に世界文化遺産に登録されました。
明治時代に作製されたと思われる『琉球風俗図』に描かれた首里城
江戸時代、琉球の使節が江戸に上った際に描かれた錦絵『琉球人来朝之図』
大正時代に刊行された写真帖に掲載された首里城と中城城址
1799年に造園された琉球王家の別邸である識名園の大正初期頃の写真。第二次世界大戦の沖縄戦で破壊され、現在は再現されている。
注
参考文献
- 佐藤信 編, "世界遺産の日本史" (筑摩書房 2022)
- 「日本の世界遺産」編集室 著, "日本の世界遺産パーフェクトガイド : ビジュアル版 改訂版" (メイツユニバーサルコンテンツ 2024)
- 古田陽久 著 et.al, "世界遺産ガイド 日本編 2024改訂版" (シンクタンクせとうち総合研究機構 2024)
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 佐渡市, 新潟県教育委員会 編, "佐渡金銀山絵巻 : 絵巻が語る鉱山史" (同成社 2013)
- "宗像神社史 上巻" (宗像神社復興期成会 1961)
- 片岡弥吉 著『日本キリシタン殉教史』(時事通信社 1979.12)
- 桐敷真次郎 著『明治の建築 : 建築百年のあゆみ (日経新書)』(日本経済新聞社 1966)
- 東京国立博物館 編, "海上の道 : 沖縄の歴史と文化 復帰20周年記念特別展" (読売新聞社 1992)








