論点

1 国民主権と天皇制

1 米国の方針

日本政府は、ポツダム宣言を受諾するにあたり、「万世一系」の天皇を中心とする国家統治体制である「国体」を維持するため、「天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラザルコトノ了解ノ下ニ受諾」すると申し入れた。これに対し、連合国側は、天皇の権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれ、日本の究極的な政治形態は、日本国民が自由に表明した意思に従い決定されると回答した(「ポツダム宣言受諾に関する交渉記録『ポツダム宣言受諾に関する交渉記録』の解説)。1945(昭和20)年8月14日の御前会議で、ポツダム宣言受諾が決定され、天皇は、終戦の詔書『終戦の詔書』の解説の中で、「国体ヲ護持シ得」たとした。

1946(昭和21)年1月、米国政府からマッカーサーに対して「情報」として伝えられた「日本の統治体制の改革(SWNCC228)『日本の統治体制の改革(SWNCC228)』の解説には、憲法改正問題に関する米国政府の方針が直接かつ具体的に示されていた。この文書は、天皇制の廃止またはその民主主義的な改革が奨励されなければならないとし、日本国民が天皇制の維持を決定する場合には、天皇が一切の重要事項につき内閣の助言に基づいて行動すること等の民主主義的な改革を保障する条項が必要であるとしていた。マッカーサーは、その頃までに、占領政策の円滑な実施を図るため、天皇制を存続させることをほぼ決めていた(「マッカーサー、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡『マッカーサー、アイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡』の解説)。

2 日本側の検討

憲法問題調査委員会(松本委員会)は、松本烝治の「憲法改正四原則『憲法改正四原則』の解説に示されるように、当初から、天皇が統治権を総覧するという明治憲法の基本原則を変更する意思はなかった。ただし、松本委員会の中にも天皇制を廃止し、米国型の大統領制を採用すべきだとする大胆な意見もあった(野村淳治「憲法改正に関する意見書野村淳治『憲法改正に関する意見書』の解説)。しかし、それは、委員会審議には影響を与えず、委員会が作成した大幅改正と小改正の2案は、いずれも天皇の地位に根本的な変更を加える内容とはならなかった(「憲法改正要綱(甲案)『憲法改正要綱(甲案)』の解説、「憲法改正案」(乙案)『憲法改正案(乙案)』の解説)。

一方、政党・民間が作成した憲法改正案の中には、国民主権の確立、天皇制の廃止・変更を打ち出したものがあった。共産党案は、人民主権、天皇制の廃止、人民共和国の建設を目指すものであった(日本共産党「新憲法構成の骨子『新憲法構成の骨子』の解説、「日本人民共和国憲法草案『日本人民共和国憲法草案』の解説)。社会党案は、主権は天皇を含めた国民共同体としての国家にあるとし、統治権を議会と天皇に分割して天皇制を維持するものであった(日本社会党「憲法改正要綱『憲法改正要綱』の解説)。また、憲法研究会案は、国民主権を明記した上で、天皇の権限を国家的儀礼に限定し、今日の象徴天皇制の一つのモデルともなる構想を示していた(憲法研究会「憲法草案要綱『憲法草案要綱』の解説)。

3 GHQ草案の起草

2月3日、マッカーサーがホイットニーGHQ民政局長に示した「マッカーサーノート『マッカーサーノート』の解説は、天皇制について、(1)天皇の地位は「元首」、(2)皇位の継承は世襲、(3)天皇の権能は憲法に基づき行使され、人民の意思に応える、との原則を含んでいた。

民政局の「天皇・条約・授権規定に関する委員会」が作成した試案『試案』の解説は、冒頭に、主権が国民に存するとの規定を置いた(第1条)。第2条には、天皇の地位について、まず、「日本の国家は、一系の天皇が君臨(reign)する」(第1文)と規定し、次に、「皇位は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、天皇は、皇位の象徴的体現者である。この地位は、主権を有する国民の意思に基づく」(第2文)などと規定していた。しかし、「運営委員会」において、主権が国民に存することは前文に書かれており、それで十分であるとして、第1条が削除され、また、第2条第1文の「君臨」するという言葉は、日本語では「統治」するという意味を含むとして、第1文が削除された。この結果、「GHQ原案『GHQ原案』の解説では、試案の第2条第2文が冒頭の条文となった。最終の「GHQ草案『GHQ草案』の解説では、これが「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。…」と修正されて第1条となった。また、前文においては、「主権が国民の意思に存する」と宣言された。

4 日本政府案の作成と帝国議会の審議

GHQ草案をもとに日本政府が作成した「3月2日案『3月2日案』の解説は、前文を置かず、また、第1条に「国民至高ノ総意」という文言を用いて、主権が国民にあることがあいまいにされていた。GHQとの交渉の結果、前文が復活し、第1条は、ほぼGHQ草案の形に戻されたが、「国民至高ノ総意」の文言は維持された(「憲法改正草案要綱『憲法改正草案要綱』の解説)。

衆議院での審議では、天皇の地位と国体の変更について、金森徳次郎国務大臣は、変更されたのは「政体」(天皇を中心とする政治機構)であって「国体」(天皇をあこがれの中心として国民が統合していること)ではない、と答弁した。このため、ケーディス民政局次長は、金森の答弁が非常に不明確で判り難いとして説明を求めた。金森は、「国体」について文書で説明した(「金森6原則『金森6原則』の解説)。さらに、ケーディスから前文または第1条で国民主権を明確にするよう要請された結果、衆議院で、前文を「主権が国民に存することを宣言し」、第1条を「主権の存する日本国民の総意に基づく」とする修正が行われた。

貴族院の審議でも、衆議院と同様、国体の変更、主権の所在について論議が集中した。この問題は、憲法改正案を審議した帝国議会だけでなく国民各層の間でも活発に議論され、憲法制定時における最大の争点となった。それはまた、憲法制定後も、「国民主権と象徴天皇制」の問題として議論の対象となってきた。

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