近代日本人の肖像

世界を見たサムライ達

日本は嘉永6(1853)年のペリー来航を契機に開国し、国際社会に仲間入りすることになりました。これにより、幕府は外交交渉のため約10年間に6回の使節を海外に派遣します。

ここでは、代表的な4つの使節団とその一行をご紹介します。  


〇万延元(1860)年遣米使節

日米修好通商条約批准書の交換を目的とした使節で、正使は外国奉行・新見正興、副使は村垣範正、監察は小栗忠順。使節団には、軍艦奉行・木村芥舟、船将・勝麟太郎の一行が咸臨丸で随行しました。


〇文久2(1862)年遣欧使節 (~1863)

江戸・大坂両市の開市と兵庫・新潟二港の開港延期交渉のため、勘定奉行・竹内保徳を正使、松平康直を副使とした使節団。フランス・イギリス・オランダ・プロイセン・ロシア・ポルトガルの6か国を訪問しました。


〇文久3(1863)年横浜鎖港談判使節 (~1864)

横浜鎖港談判を目的とし、外国奉行・池田長発を正使、河津祐邦を副使とする使節。フランスでナポレオン3世に謁見、カイロでスフィンクスの前で写真を撮影したりしています。


〇慶応3(1867)年パリ万博使節 (~1868)

パリ万国博覧会の日本代表として、徳川昭武を徳川慶喜名代とし、向山一履を全権公使として派遣。条約国を歴訪して帰国しました。

このほかにも、慶応元(1865)年から2年にかけて、横須賀製鉄所技師雇い入れのため、外国奉行・柴田剛中がイギリス・フランスに派遣され、慶応3年には軍艦購入交渉のため、勘定吟味役の小野友五郎一行がアメリカに派遣されています。また日露境界確定交渉のため、外国奉行の小出秀実がペテルブルグに赴きました。

    参考文献