生田 いくた 長江 ちょうこう

生没年
明治15年4月21日 〜 昭和11年1月11日
1882年4月21日 〜 1936年1月11日)
出身地
鳥取県
職業・身分
文学者
別称
弘治(本名)、星郊(別号)

解説

評論家、翻訳家、小説家。明治37(1904)年、東京帝国大学在学中に上田敏らとともに『芸苑』の同人となり、39(1906)年に『小栗風葉論』を掲載、論壇の注目を集める。翌年馬場孤蝶、森田草平らと閨秀文学会を結成、のち『青鞜』発刊の契機となる。45(1912)年には評論集『最近の小説家』を刊行した。また、ニーチェ『ツアラツウストラ』、ダンヌンツィオ『死の勝利』を翻訳する等、翻訳家としても活躍した。大正3(1914)年に森田草平と雑誌『反響』を発行、堺利彦、伊藤野枝ら社会主義者にも紙面を提供する。

関連資料

著作

翻訳

SNSでシェア

生田 いくた 長江 ちょうこう

生田長江の肖像
  • 生田長江の肖像1枚目
  • 生田長江の肖像2枚目
出典: