浜田 はまだ 彦蔵 ひこぞう

生没年
天保8年8月21日 〜 明治30年12月12日
1837年9月20日 〜 1897年12月12日)
出身地
兵庫県
職業・身分
外交官 実業家
別称
彦太郎(幼名)、アメリカ彦蔵(通称)、ジョセフ・ヒコ(アメリカ名:Joseph Heco)、ヒコダ唐人、播州彦蔵

解説

貿易商、新聞創始者。嘉永3(1850)年海難で漂流し、アメリカ船に救助され渡米。アメリカで教育を受け、安政5(1858)年アメリカ市民となる。翌年に日本へ帰国しアメリカ領事館の通訳として活躍、開国後の外交に尽くした。その後、商館を開設し貿易を営む。元治元(1864)年横浜で民間最初の新聞『海外新聞』を発刊。明治以降も各種の事業を経営した。自己の漂流について『漂流記』(1863)を著している。

関連資料

著作

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浜田 はまだ 彦蔵 ひこぞう

浜田彦蔵の肖像
  • 浜田彦蔵の肖像1枚目
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