矢島 やじま 楫子 かじこ

生没年
天保4年4月24日 〜 大正14年6月16日
1833年6月11日 〜 1925年6月16日)
出身地
熊本県
職業・身分
教育家 社会運動家
別称
勝(幼名)

解説

女子教育者、社会事業家。女子学院初代院長。明治5(1872)年酒乱の夫と離婚して上京し、教員伝習所で学び9(1876)年女学校教師となる。19(1886)年に日本キリスト教婦人矯風会を設立し、元老院に一夫一婦制の建白や婦人参政権、廃娼・禁酒運動などに尽力した。22(1889)年にはキリスト教系女学院(後の女子学院)を創立、院長となり女子教育にあたる。26年には矯風会の全国組織を結成、日本キリスト教婦人矯風会会頭となった。大正10(1921)年ワシントン平和会議にも出席した。

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矢島 やじま 楫子 かじこ

矢島楫子の肖像
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