依田 よだ 学海 がっかい

生没年
天保4年11月24日 〜 明治42年12月27日
1834年1月3日 〜 1909年12月27日)
出身地
千葉県
職業・身分
学者(人文科学) 文学者 芸術家
別称
幸造、信造(幼名)、百川(字、後に本名)、七郎、右衛門次郎(通称)、柳蔭(雅号)朝宗(諱)

解説

幼少期に漢学を学び、維新後は権大参事、修史局編輯官、文部省書記官などを歴任。明治18(1885)年に退官後は小説、戯曲の執筆、演劇改良運動にも従事した。清代の文学者、魏叔子を奉ずる漢文家として多くの碑文記伝を残し、また『学海日記』は鋭敏に時代の推移を見届けた46年間の文化記録として突出する。

関連資料

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依田 よだ 学海 がっかい

依田学海の肖像
  • 依田学海の肖像1枚目
  • 依田学海の肖像2枚目
  • 依田学海の肖像3枚目
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