国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

浜口雄幸

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浜口雄幸の肖像写真

浜口雄幸

はまぐちおさち
1870年~1931年

浜口雄幸の日記について

この電子展示会で見られる日記の概要

  • 1928~1931年、計4冊。博文館の日記帳を用いる。
  • 浜口が首相在職中の日記、ロンドン海軍軍縮問題に関する情報等も含む。

浜口雄幸の日記より

昭和4(1929)年7月2日

組閣の大命 
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午後一時参内、御座所において拝謁仰せつけられ、内閣組織の大命を拝す。御前退下、直に山本、若槻両氏を訪ひ大命拝受の旨披露し、組閣の腹案を示し同意を得。午後二時半帰邸、直に組閣に着手。午後六時一切の準備を了し、閣員名簿を作成し、六時十五分参内。名簿捧呈。
昭和5(1930)年1月11日

金解禁、シャンペンで祝杯  経済
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〇愈々[いよいよ]金解禁の当日なり、万事平穏順調些の動揺なし。安心。〇市場平穏、株式しっかり。〇食堂にてシャンペンを抜き祝杯を挙ぐ。
昭和5(1930)年1月21日

衆議院解散  帝国議会選挙
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〇議会再開。〇午前十時貴族院にて施政方針演説一時間に渉[わた]る。これに対し小久保喜七[こくぼきしち]氏の質問あり。これに答ふ。〇午後一時半、衆議院開議、自分、外相、蔵相三人演説の後、政友会犬養総裁の質問あり。自分これに答弁す。犬養氏の再質問あり。自分またこれに答ふ。第二陣として山本(悌)氏演壇に上り将[まさ]に口を開かむとする時、解散の詔勅下る(時に午後四時四十二分)。
昭和5(1930)年11月14日

ライオン宰相の遭難  事件
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午前九時発「燕」号にて出発の間際[まぎわ]、八時五十七分東京駅プラットフオ-ムにおいて、佐郷屋留雄[さごうやとめお]なる一青年の為、モーゼル式拳銃をもって狙撃せられ、弾丸下腹部に命中、重傷を負ふ。

浜口雄幸について

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肖像の出典