国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

大山巌:明治38(1905)年1月1日の日記より

大山巌

明治38(1905)年1月1日

元旦、旅順の敵将降伏の報あり 日露戦争 正月

午前十一時、将校始め奏任官年首の祝儀を述ぶる為め来訪。午後二時、第二軍外国従軍武官一同是又新年祝儀を述べたり。終りて日本流のトソ酒肴を出し宴会を開き、十二分の喜びを尽して夜に入て帰れり。時に午後三四時頃旅順より電報あり、望台を占領せりと。その後続て好報あり、午後十時に到り敵将ステツセール[Анатолий Михайлович Стессель]より開城の申込みありたるとの事なり。それより再び将校以上集会し、盛かんに陛下の万歳を唱へ、兵卒に到る迄皆集り、軍歌をうとうて天地も倒るばかり盛会なりし。

明治37(1904)年に開戦した日露戦争において、ロシア海軍が軍港を擁する旅順の要塞は激戦の地となりました。満洲軍総司令官であった大山は、翌年1月1日に旅順陥落の報を受け、祝杯をあげた旨を手帳に記しています。