国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

大木操:昭和20(1945)年5月25日の日記より

大木操

昭和20(1945)年5月25日

大空襲で議事堂も被災  第二次世界大戦

青山赤坂方面より火勢強く、防空壕に一時待避して居たが危険に付、小林君の官舎を捨てて、十二時頃家族一同小熊の自動車にて脱出する。議会正門横にて下車登院、院内騒然。

昭和20(1945)年には度重なる空襲が東京でありました。5月は24日、25日と連日大規模な爆撃に見舞われました。両日とも500機前後のB29により、麹町、麻布、牛込、本郷、中野、四谷、赤坂、芝、世田谷、青山通りと山手を中心に広範囲に被害が及びました。日記には両日の状況が詳細に描かれています。24日は、大木の官舎が炎上し、大木自身も火傷を負っています。25日には議事堂も被災し、騒然となった様子が書かれています。