国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

大木操:昭和20(1945)年3月10日の日記より

大木操

昭和20(1945)年3月10日

東京大空襲の惨状  第二次世界大戦

十二時過再び警報出で、忽[たちま]ち爆音高射砲音近辺に聞え空襲警報出づ、…後から後から続々と少数機にて侵入し来る。官舎門前に在りて暫し形勢観望したるも、事態容易ならず、しかも議事堂東側に極めて近接して猛火揚がるを見るに及び、車を命じて議事堂に馳けつける。通用門閉じありしも、運転手乗り越えこれを開き進む。時に一時頃。直ちに屋上に登り都内を見るに、足下の司法省、警視庁附属家等炎々と燃えてる最中なり。…

東京大空襲の様子を赤裸々に描いた日記の一部分です。日記の冒頭には、「晴 強風」とあり、風にあおられて、爆撃で発生した火災が拡がったことがわかります。日記には爆撃が止んだあと、東京市内の巡視に出かけた折の様子も細々と記されています。大木は、巡視を終えたあと「何としても今夜の大挙空襲は、最初の夜間大空襲なると折柄の強風とにより全部火の海に帰せしむ。何たる痛憤事ぞ、何たる恨事ぞ、吾々はこの焼土の中より立ち上り、飽く迄醜敵を撃滅する方途を何としても講ぜなければならぬ」と、東京の広範囲が焦土と化した悲惨な状況を目の当たりにした嘆きと感想を書き残しています。