国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

伊藤博文:明治18(1885)年3月16日の日記より

伊藤博文

明治18(1885)年3月16日

幼帝への国書捧呈の行方  外交 海外

午後六時半、李相道台[どうだい]及び通弁を携帯し来る。食後使事を談ぜんと欲し、別室に誘引し余先づ彼に告曰く、聞く所に拠れば、閣下全権委任を受たりと、果し[て]しかれば、余実に欣躍に堪へず、しかるに全権大使の任、必ず先づその国都に入り皇帝に謁を請ひ、携帯する所の国書を捧呈せざるを得ざるの職務あるをもって、節をこの地に駐ずるを得ざるをもってす。李曰、我皇帝尚幼沖[ようちゅう]にあるをもって外国の使臣に接せずと。余又曰、皇帝幼沖にして引接に便ならざる、皇太后垂簾[すいれん]政務を執る、帝に代て謁を賜ふも可なり。李曰、我国風婦女子外人に接せず、閣下能[よ]くこれを知るべしと。

特命全権大使として清国に赴いた伊藤は、李鴻章(りこうしょう)首相と光緒帝への国書奉呈について会談しました。李は皇帝は幼いため難しいと伝えますが、伊藤は政務を代行している皇太后(西太后)への謁見を求めます。