国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

石坂泰三:昭和22(1947)年11月1日の日記より

石坂泰三

昭和22(1947)年11月1日

外務大臣公邸に招かれて  選挙

五時から芦田君が数人の友人を目黒の官邸に招待してくれた。…彼は民主党総裁であり外務大臣であるが、今の内閣も第一生命同様、随分弱いもので、最もこれはGHQの軍政の下にあるので、誰でも如何する事も出来ないのだが、丁度平野農相の追放の問題が起った際なので内閣も相当ゴタゴタしてゐるらしかった。一方保守政党の団結による新党結成の問題もあり、芦田君も今では総理大臣を夢みてゐるかも知れない。

日本国憲法施行の直前に行われた衆議院議員総選挙で第一党となったのは、日本社会党でした。社会党は過半数の議席を確保できなかったため、民主党、国民協同党と連立して片山哲(かたやまてつ)内閣を組閣します。片山内閣は、内務省の解体、炭鉱の国家管理化などの改革に着手しますが、内政方針をめぐって閣内で対立がおき、片山はこれを調整することができませんでした。GHQの示唆により、平野力三(ひらのりきぞう)農相は罷免されました。日記では、平野の公職追放に至るまでのゴタゴタや、外相であり、副総理である民主党の芦田の動向等についても記されています。