国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

半田門吉:文久3年9月6日(1863年10月18日)の日記より

半田門吉

文久3年9月6日(1863年10月18日)

十津川で義兵募集 事件

天の辻え御着陣。しかる処追々寄手紀州勢吹口より進、藤堂勢五条え本陣を構え、和田口より押し寄る。井伊勢下市え本陣を構え泥川道より進む。その外郡山高取など数千の大軍所々え屯陣[とんじん]罷在[まかりあ]り、迚[とて]も急に打破らん事六ケ舗故に、天の辻より二里斗[ばかり]北五條の方え進、ホクツキ[付箋北曽木の誤り]と云処要害の地に因て暫く対陣合戦し敵を悩まし、その都合によって打出んとの軍議にて、上田宗児、半田門吉、十津川鎮撫義兵招募の命を蒙[こうむ]り罷越[まかりこし]、婦人小供は安心して農事を助けて百姓は人夫外は他を顧みず農事出精を勧め、郷士の勇者は早々天の辻出陣の由申聞、頻りに周旋せり。

天誅組は、紀州藩を始めとした畿内各藩兵に包囲される状況のなか、五条付近に陣地を築きつつ、十津川の地で義兵を募ることを決定し、半田等数人を派遣しました。