国立国会図書館憲政資料室 日記の世界

赤松則良:安政5年7月初旬(1858年8月初旬)の日記より

赤松則良

安政5年7月初旬(1858年8月初旬)

コレラの流行  疫病

当地にコレラと唱ふる伝染病流行、日々死するもの数百人なり。この疾を受るや吐しゃ烈しく数時間にして死するあり。未だ是を治するの薬方なしといへども、是を余[予]防するの法あり。蘭人[オランダ人]教師ポンぺ氏是を著して差出せり。この疾は始めて伝来せるにて古医も知るものなかりし。亜墨利加[アメリカ]船ポーハタンにて支那より伝来せりと云ふ。或は魯西亜[ロシア]船アスコルトより伝来せり抔との風評なり。市中の騒動大方ならず、悪魔を払ふと号し、鐘大鼓にて騒ぎ回り恰も祭礼の如し。

江戸において7月初旬より大流行したコレラの状況について記しています。コレラは治療薬はないが、予防する方法がある、それを本に著したのはオランダの医師ポンぺ(Johannes Lijdius Catharinus Pompe van Meerdervoort)としています。