第1部 日本の近代化とフランス

第1章 政治・法律

1. フランス政治思想の導入

明治時代の初期、フランスの政治思想書が積極的に翻訳された。これらの著者としては、シャルル・ド・モンテスキュー(1689-1755)、ヴォルテール(1694-1778)、ジャン=ジャック・ルソー(1712-1778)、ジョゼフ・ド・メーストル(1753-1821)、バンジャマン・コンスタン(1767-1830)、フランソワ・ギゾー(1787-1874)、アレクシ・ド・トクヴィル(1805-1859)、ピエール・プルードン(1809-1865)など多彩な顔ぶれが並ぶ。ここではその中から数点をみていきたい。翻訳者の経歴に着目すると、もともと漢学を学んだ人々が蘭学を経て、次第に英国、フランス等へと目を転じていく様子がうかがえる。また、摂取した思想を元に、独自の著作が登場することにも注目したい。

『萬法精理第1冊』標題紙

孟徳斯鳩(何禮之譯)『萬法精理』何禮之,明治8(1875)-明治9(1876)【852-58『萬法精理』のデジタル化資料

シャルル・ド・モンテスキューは、18世紀前半に活躍した啓蒙思想家。ボルドー大学で法学を学んだ後、高等法院に勤め、社会批判を含んだ書簡体小説『ペルシア人の手紙』を著して有名になる。原書は、『法の精神』の名で知られるモンテスキューの主著で、英国の政治制度に学び三権分立を説いたことで名高いが、実際には風土論など多彩な叙述を含む。本書は英訳からの重訳であるものの、日本語による初の全訳とみられ、木戸孝允(1833-1877)の序文を付す。
何礼之(1840-1923)は官僚・翻訳家。明国遺臣の子孫で長崎生まれ。明治4(1871)年、岩倉具視(1825-1883)特命全権大使らの米欧歴訪に一等書記官として随行した。その後、内務省に勤務して翻訳に携わる。何は、功利主義の哲学者ジェレミー・ベンサム(1748-1832)などの翻訳も行っており、こうした訳業は当時の政界に大きな影響を与えたという。

『宰相責任論』標題紙

バンジャマン・コンスタン(大塚成吉訳)『宰相責任論』,潜心堂[ほか],明治16(1883)【25-561『宰相責任論』のデジタル化資料

バンジャマン・コンスタンは、第一帝政期から復古王政期にかけて活躍したスイス生まれの作家・政治家。恋愛心理小説『アドルフ』でも名高い。もともと共和主義者でナポレオン・ボナパルト(1769-1821)にも近しかったが、後に対立して亡命生活を送った。ナポレオン失脚後の復古王政下では、立憲君主制の擁護に転じ、立憲君主制こそ個人主義的自由の保障に適していると考えて、英国の議会政治を模範とした。また、ルソーを批判して「近代人の自由」は「古代人の自由」と異なると論じた。本書は、英国へ亡命した頃の論文。コンスタンは、行政の責任を宰相が負うのは立憲君主政治の要件であるが、王が選任した宰相の「不徳」を議会が公言するのは王の大権を犯すものだとも主張する。代わりにコンスタンが期待を寄せるのは元老院であった。
大塚成吉(1856-1905)は江戸生まれ。横須賀造船所でフランス語を学んだ後、明法寮(司法省法律学校)を卒業し、衆議院議員も務めた。

『欧羅巴文明史巻之一』標題紙

ギゾー(ヘンリー訳・永峰秀樹再訳)『欧羅巴文明史』奎章閣,明治10(1877)【2-27『欧羅巴文明史』のデジタル化資料

フランソワ・ギゾーは復古王政期から七月王政期にかけて活躍した歴史家・政治家。七月王政下に総理大臣となるが、1848年の二月革命で失脚した。本書では、パリ大学における講義を元に、ローマ帝国崩壊からフランス革命までの進歩が論じられる。欧州においては、聖俗の権力、神政、君主制、貴族制、民主主義的要素など、多様な要素が混在し、それが自由をもたらしたという。本訳書は英訳からの重訳。原著は現在も読み継がれ、平成18(2006)年刊行の邦訳もある。
永峰秀樹(1848-1927)は、甲州(山梨県)生まれの翻訳家。漢籍を学んだ後、長崎で英語を学ぶ。海軍兵学校で英語教官を務めた。ジョン・ステュアート・ミル(1806-1873)『代議政体』【1-41】など多くの訳書がある。

『文明論之概略巻之一』標題紙

福沢諭吉『文明論之概略』福沢諭吉,明治8(1875)【304-H826b『文明論之概略』のデジタル化資料

福沢諭吉(1835-1901)は、豊前(大分県)中津藩士の子として大阪に生まれた。緒方洪庵(1810-1863)の適塾において蘭学を学び、後に英学に転じた。咸臨丸で米国を訪れたほか、欧州にも渡航し、慶応4(1868)年に慶応義塾を開塾する。『学問のすすめ』【特41-532】など、多数の啓蒙書、翻訳で名を馳せる。その後、日刊新聞『時事新報』【新-3】を創刊し、主筆を務めた。
本書は、明治8(1875)年に刊行された福沢の主著である。英国の歴史家ヘンリー・バックル(1821-1862)の『イギリス文明史』やギゾー『ヨーロッパ文明史』に学んで執筆された。福沢は単に西洋の表面に学ぶだけの文明化では足りないと考え、無形の「人民の気風」の文明化こそ必要と判断する。そして「自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し」と断じる。

『上木自由之論』標題紙

デ・トヲクヴィル(小幡篤次郎抄訳)『上木自由之論』小幡篤次郎,明治6(1873)【3-127『上木自由之論』のデジタル化資料

アレクシ・ド・トクヴィルは、19世紀半ばの七月王政期から第二帝政期にかけて活躍した政治家・政治思想家。ノルマンディー地方の貴族の生まれ。行刑制度の研究のために米国を旅行し、その体験に基づいて著した『アメリカのデモクラシー』で有名となった。著書に『アンシャン・レジームと革命』など。トクヴィルは、デモクラシーの進展は避けられないと認めながらも、そこに「多数者の専制」をもたらす恐れを見出し、自発的結社と地方自治をそれに抗する策と考えた。
小幡篤次郎(1842-1905)は豊前(大分県)生まれの教育者。福沢に誘われて上京し、慶応義塾に入学した。後に塾長も務めている。タイトルの「上木」とは出版の意で、『アメリカのデモクラシー』の出版の自由を論じた部分を英訳本から重訳したもの。明治政府による言論統制を批判するために翻訳されたという。

『分権論』標題紙

福沢諭吉『分権論』福沢諭吉,明治10(1877)【31-206『分権論』のデジタル化資料

福沢による地方分権の擁護論。地方自治を論じた日本最初の書物とも言われ、西南戦争後の明治10(1877)年に出版された。福沢は、不平士族の反乱を望まぬ一方で、藩閥政府の強権政治(有司専制)や東京への一極集中も望ましくないと考えた。このため、トクヴィルを踏まえて、全国的な権力である「政権」と地方に関わる「治権」とを区別し、「治権」の担い手として士族を想定して、彼らを地方自治に従事させようとする。なお、小幡は『上木自由論』を翻訳後、『アメリカのデモクラシー』の地方自治を論じた部分を翻訳しており、福沢は本書でそれを用いている。福沢が『アメリカのデモクラシー』を通読したのは本書執筆後のことと推測される。

『民約論』標題紙

戎雅屈・蘆騒(ジャン・ジャック・ルーソー)(服部徳訳・田中弘義閲)『民約論』有村壮一,明治10(1877)【31-282『民約論』のデジタル化資料

ジャン=ジャック・ルソーは、フランス革命に大きな影響を与えたと言われるジュネーブ生まれの作家・啓蒙思想家。『学問芸術論』、『社会契約論』、『人間不平等起源論』、『エミール』などの著作がある。本書は、『社会契約論』の初の全訳であるが、訳文は不正確ともいわれる。本書においてルソーは、トマス・ホッブズ(1588-1679)、ジョン・ロック(1632-1704)以来の社会契約論を敷衍し、自然状態において自由で平等な人間が、その自由を失うことなく社会状態へと移行するために、全員一致で自らの権利を政治共同体へと譲渡する社会契約を想定する。これは人民主権論の嚆矢とされる。
服部徳(生没年不詳)は、旧幕臣の官僚。田中弘義(1846-1888)は、幕末にフランスに留学した天文学者で、共著に『和仏辞書』【443.9-R456d(洋)】がある。