明治政府を支えた幕臣等

    明治維新により、政権は江戸幕府から明治政府へと交代した。新しく発足した政府には、首脳となるべき人材はいたが、その手足となって首脳を補佐する人員が不足していた。政権の担い手は薩長土肥や官軍側の旧藩だけでは経験や人員が不足しており、政府は旧幕府側の人物(以下、幕臣達)を登用することで不足部分を補填した。ここでは明治政府に登用された幕臣等を紹介してみよう。

    登用されたのは幕末の段階で洋学等の新知識を身につけていた幕臣等である。大久保一翁は蕃書調所総裁、外国奉行を歴任、由利公正横井小楠から科学や実学の影響を受けた。前島密は開成所数学教授であり、林董は順天堂創始者で洋学者の佐藤泰然が実父である。勝海舟榎本武揚は幕末に長崎海軍伝習所で学び、勝は咸臨丸で渡米する。榎本・津田真道西周は、文久2(1862)年にオランダに留学した。榎本は砲術、造船術、機関学、国際法等を習得、津田は自然法、国際法、統計学等を、西は法学、哲学、経済学、国際法等を学んだ。明治政府は、既に洋学・実学・留学等で新知識を持つ彼らを用い活用した。

    登用後の彼らの業績を簡単に紹介しよう。由利は会計部門で活躍、太政官札の発行を行い、また五箇条御誓文の起草にも携わった。前島は出仕後にイギリスに留学し、近代郵便制度を確立した。林は外交で活躍、初代駐英公使として日英同盟に尽力した。榎本は駐露公使として樺太・千島交換条約を締結した。津田・西は法整備にあたり、津田は陸軍刑法を作成、西も軍人勅諭の起草に携わった。勝は海軍卿、参議となり、大久保は第5代東京府知事となった。

    このように、明治政府は発足当初から幕臣等の知識や技術を活用することで、政権基盤を作り上げていった。明治4(1871)年の廃藩置県で、基礎が固められると、維新時に登用された人々は徐々に政府から去っていった。維新直後の明治政府は、幕臣等と藩閥が両輪のように国家形成に携わり、近代国家への道を歩んだ。

      参考文献