近代日本人の肖像

寺崎 てらさき 広業 こうぎょう

生没年
慶応2年2月25日 〜 大正8年2月21日
1866年4月10日 〜 1919年2月21日)
出身地
秋田県
職業・身分
芸術家
別称
徳卿(字)、秀斎、宗山、天籟山人、騰龍軒(号)、忠太郎(幼名)

解説

日本画家。明治21(1888)年に上京し、日本画家の平福穂庵(ひらふく すいあん)に師事。岡倉天心に認められて、30年東京美術学校(後の東京芸術大学)の助教授となる。翌年、職を辞し日本美術院設立に参加するが、34年に同校の教授として復職。文展審査員、帝室技芸員として画壇で重きをなした。門下に野田九浦、中村岳陵、矢沢弦月等がいる。

関連資料

作品

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寺崎 てらさき 広業 こうぎょう

寺崎広業の肖像
  • 寺崎広業の肖像1枚目
  • 寺崎広業の肖像2枚目
出典:

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